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道の駅「鷹ら島」は鷹島肥前大橋のたもとにありますが、道の駅を出発したらもう少し島の中央部へ向かって走りました。


鷹島の中央部へ向かって県道109号を走っていると「国史跡 鷹島神崎遺跡」と書かれた標識が見えてきました。ここからはわずか1.5㎞のところにありますが、ここへは立ち寄らずにこれから向かうのはその下に書かれている「埋蔵文化財センター」です。




県道109号をさらに1㎞ほど先に進むと「元寇船のいかり」と大きく書かれた埋蔵文化財センターの標識が見えてきたのでここを左折しました。




左折するとすぐにこの様な建物が見えてきます。手前の建物は松浦市立鷹島公民館で、その奥に見えるのが松浦市立埋蔵文化財センターと、松浦市立水中考古学研究センターです。




鷹島公民館の駐車場の一角には展望所もあって、鷹島の東岸に広がる海の景色を望むことができます。




展望所にはこの様な案内パネルもありました。この狭い湾が2度目の元寇(弘安の役)の時に神風が吹いて元軍が全滅したといわれるところで、湾の一部には「国史跡 鷹島神崎遺跡 指定地域」と書かれていました。ここが先ほどの標識に書かれていた遺跡で、日本で初めてとなる国指定の海底遺跡ですが、名前の通り遺跡は海底にあるので現地へ行っても何も見えないんですよね。




この建物が松浦市立埋蔵文化財センターです。建物は二つに分かれていて右側は水中考古学研究センターも入っている保存処理施設で、奥の建物がガイダンス施設になっています。




この建物がガイダンスセンターです。館内に入ると受付があってここで入館料310円を支払ったら、海底から引き揚げられた元寇遺物の見学ができますが、展示物は両方の建物内にあるので、まずはガイダンスセンター内の展示物から見学をしました。




ガイダンスセンターの館内はあまり広くありませんが、大きなモニターからは元寇についての詳しい説明も流れるので、説明を聞きながら展示されている遺物の見学ができます。




元寇の遺物はここでしか見れないものばかりなので、興味深く見学をさせてもらいましたが、その中でも特に興味深かったのは「てつはう」です。元寇の様子を描いた蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)には、「てつはう」が炸裂する場面が描かれていますが、謎の多い武器だったのが鷹島沖の海底で初めてその実物が引き揚げられたそうです。




ガイダンスセンター内の展示物を見学したら、隣の保存処理施設へ向かいました。ここには鷹島沖から引き揚げられた元寇船の巨大な錨などが展示されていますが、この建物では引き揚げられた遺物の保存処理なども行っているので、その様子を見学することもできます。




建物の一角には「松浦市立水中考古学研究センター」もありました。




これは元寇船の大錨と錨石です。木製の錨に重量のある錨石を挟んで使用していたそうです。




この水槽は引き揚げられた遺物の脱塩処理を行っているところで、水槽内には元寇船の遺物の大きな木片がいくつも入っていました。脱塩処理が終わったら木材に含まれる水分をポリエチレングリコールと入れ替える作業を行って、最終的には真空凍結乾燥を行うそうです。
弘安の役では4400隻の元寇船が襲来して湾を埋め尽くしたといわれていますが、これまでに発掘されたのはわずか2隻だけで、発掘調査はほとんど進んでいないそうなので、こんなところにも少しは税金を使ってもらいたいものですね。



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