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大刀洗平和記念館を出発したら来た道を大分県方面へと戻ります。
 

国道386号線を大分県方面へ向かって走り、『 三連水車の里 あさくら 』 を過ぎると  木の丸公園  、恵蘇八幡宮 と書かれた標識が見えてくるので、ここに車を停めました。
 

 

標識のすぐ前の国道386号線沿いには恵蘇八幡宮の大きな鳥居が建っていて鳥居の横の坂道を登れば神社の駐車場がありますが、私たちはここから百mほど離れた所にある木の丸公園の駐車場へ車を停めました。




鳥居を潜って急な石段を登って行くと恵蘇八幡宮の拝殿が見えてきます。拝殿の両側には松の木が植えられたちょっと珍しい神社ですね。ここには後で紹介しますが、゛木の丸殿(きのまろどの)  ゛ といわれる荒削りの丸太で急きょ作った粗末な仮の宮殿があったところです。




境内には漏刻(ろうこく)と呼ばれる古代の水時計を復元したものがありました。いちばん高い箱に水を満たしたら段々に下の箱へと流れて、最後に矢を浮かべた容器で水を受け止めて、その矢の高さから時刻を知るというものです。この漏刻は斉明天皇の時代(紀元660年頃)に皇太子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が作ったと伝えられるものを再現しているそうです。




恵蘇八幡宮の横は小高い山のようになっていて 『 御陵山 』 と書かれた案内板があって、いくつもの階段が小山の頂部へと続いていました。ここは朝鮮半島の百済救済のために都からこの地に遷られた斉明天皇が病で亡くなり、仮に葬られた場所(陵墓)といわれています。




さっそく階段を登って行きましたが、階段を登り切ったところには頑丈な鍵をかけられた鉄製の柵があって中へは入れませんでした。




柵のすき間から奥のほうを望遠で撮影したら石柱を組んだようなものが見えて、周囲にはたくさんの丸い小石が敷き詰められていました。ここで斉明天皇は仮に葬られて、皇太子の中大兄皇子(天智天皇)が恵蘇八幡宮の建っている場所にあった木の丸殿で喪に服したそうです。
 
 
 

さらに望遠で撮影すると、横向きの石柱には ゛斉明帝 藁葬地 ゛ と刻まれていました。藁葬地(こうそうち)については調べても分かりませんでしたが、斉明天皇はこの場所で ゛殯葬(ひんそう)゛ を行ったと次の画像の説明板に書かれているので、ここからは勝手な想像になりますが、ご遺体を埋葬せずにワラかゴザで包んで、棺に安置していたのではないかと思います。
 
 
 

殯葬の ゛殯 ゛ は ゛もがり ゛ とも読み、古代の葬儀の風習で、現代のお通夜のようなものですが、遺体をすぐには埋葬せずに腐敗、白骨化するまで供養をして死を確認するという、ちょっと不気味?な風習です。でも皇室では今でも殯葬が行われていて、平成天皇のビデオメッセージの中でも ゛重い殯の儀式が二ヶ月にわたって・・・ ゛と述べられています。現代ではご遺体は棺に安置されて、それなりの処置もされて中を見ることは無いと思いますが、皇族にとっては負担の大きな儀式ですね。
 
 
 
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