道の駅「芦北でこぽん」を出発したら背後にそびえている山へ登ってみました。
道の駅「芦北でこぽん」の背後には城山という標高161mの低い山がありますが、山頂辺りを眺めたらお城の石垣らしきものが見えました。ここにはかつて山城があったんですよね。
城山の山頂へは途中までは車道が続いているので、クネクネの狭い道を登って行くと、道路の両側にたくさんの小さな石仏が見えてきました。かなり風化しているように見えたので、これもかなり古いもののようでした。
城山は低い山なのでクネクネ道を1分も登ると駐車場とトイレ、休憩所の建物が見えてきたのでここに車を停めました。
駐車場から眺めた城跡の石垣が残る城山の山頂付近です。
ここにあるのは国指定史跡の「佐敷城跡(さしきじょうあと)」です。
駐車場に車を停めたたらさっそく城跡へと向かいます。最初はこの様な山道を登って行きますが・・・
数分もすると視界が開けて石垣が見えてきました。佐敷城は築城年代や築城者は文献が残っていないために不明だそうですが、加藤清正が肥後藩主となった時代に、薩摩との国境を守るために堅固な山城として改築されたそうです。
石垣は先のほうまで伸びていて歩いて行けましたが、石垣と石垣の間には上へと続く石段があって、ここには本丸西門と書かれた木柱もあったので、まずはこの石段を登ってみました。
石段を登ると少し広い場所になっていて、さらに上へと続く石段とその両側にはちょっと低い石垣がありました。
石段を登った先は佐敷城跡の一番高い場所で、ここが城山の山頂のようでしたが、ここは平らで広くなっていて、かつて佐敷城の本丸があった場所のようでしたが、当時は天守閣も建っていたんでしょうか?
ここから八代海の方角を眺めた景色です。足元に見えるのは芦北町の中心部の町並みで、その先の河口には芦北町のシンボルとなっている吊り橋の「芦北大橋」が見えて、八代海の沖合には空気の澄んだ日は天草諸島も望めるそうですが、この日は残念ながら全く見えませんでした。
そして反対の山側を眺めると、先ほど訪れたばかりの道の駅「芦北でこぽん」の広い駐車場などがビニールハウスの手前に見えました。
佐敷城の隙間が無いように積まれた石垣はとてもきれいで、築城の名手といわれた加藤清正の築いた石垣らしく、上部が反り返った武者返しのようにも見える石垣ですが・・・
原型?を残している石垣はごく一部だけで、佐敷城は江戸幕府の一国一城令によって2度も取り壊しが行われたそうです。手前の石垣も元々は奥に見えている石垣と同じ高さまであったんでしょうね?
石垣は2段になっているところもありますが、下の段の石垣は加藤清正の時代よりも前に造られた自然石をそのまま積んだものだそうで、上段が加藤清正の時代に築かれたものだそうですが、上段の石垣はかなり削られていて上部の石垣がありませんでした。
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城山は低い山なのでクネクネ道を1分も登ると駐車場とトイレ、休憩所の建物が見えてきたのでここに車を停めました。
駐車場から眺めた城跡の石垣が残る城山の山頂付近です。
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駐車場に車を停めたたらさっそく城跡へと向かいます。最初はこの様な山道を登って行きますが・・・
数分もすると視界が開けて石垣が見えてきました。佐敷城は築城年代や築城者は文献が残っていないために不明だそうですが、加藤清正が肥後藩主となった時代に、薩摩との国境を守るために堅固な山城として改築されたそうです。
石垣は先のほうまで伸びていて歩いて行けましたが、石垣と石垣の間には上へと続く石段があって、ここには本丸西門と書かれた木柱もあったので、まずはこの石段を登ってみました。
石段を登ると少し広い場所になっていて、さらに上へと続く石段とその両側にはちょっと低い石垣がありました。
石段を登った先は佐敷城跡の一番高い場所で、ここが城山の山頂のようでしたが、ここは平らで広くなっていて、かつて佐敷城の本丸があった場所のようでしたが、当時は天守閣も建っていたんでしょうか?
ここから八代海の方角を眺めた景色です。足元に見えるのは芦北町の中心部の町並みで、その先の河口には芦北町のシンボルとなっている吊り橋の「芦北大橋」が見えて、八代海の沖合には空気の澄んだ日は天草諸島も望めるそうですが、この日は残念ながら全く見えませんでした。
そして反対の山側を眺めると、先ほど訪れたばかりの道の駅「芦北でこぽん」の広い駐車場などがビニールハウスの手前に見えました。
佐敷城の隙間が無いように積まれた石垣はとてもきれいで、築城の名手といわれた加藤清正の築いた石垣らしく、上部が反り返った武者返しのようにも見える石垣ですが・・・
原型?を残している石垣はごく一部だけで、佐敷城は江戸幕府の一国一城令によって2度も取り壊しが行われたそうです。手前の石垣も元々は奥に見えている石垣と同じ高さまであったんでしょうね?
石垣は2段になっているところもありますが、下の段の石垣は加藤清正の時代よりも前に造られた自然石をそのまま積んだものだそうで、上段が加藤清正の時代に築かれたものだそうですが、上段の石垣はかなり削られていて上部の石垣がありませんでした。
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