都農神社を出発したら国道10号をさらに南下して、都農町から 川南町 → 高鍋町へと進みました。
高鍋町へ入って小丸川(おまるがわ)を渡ったら、県道24号へと分かれて西都市へ入りましたが、これから向かうのは国の特別史跡に指定されている「西都原古墳群」です。
西都原古墳群は標高70mの西都原台地の上に無数の古墳が分布していて、その古墳群の中を道路が通っているので、まずはいくつもの古墳を眺めながら駐車場へと向かいます。画像に写っているのは中規模の前方後円墳ですね。古墳の周りには遊歩道もあって、画像には写っていませんが地元の人と思われる人たちがウォーキングをしていました。
こちらは重なり合うように密集した円墳です。西都原古墳群は11の集団に分かれていて、古墳の総数は311基とも333基ともいわれる日本最大の古墳群です。
西都原古墳群には色んな種類の古墳がありますが、ほとんどの古墳は外から見るとただの小山のようにしか見えませんが、この古墳は墳丘に付随するように建物が建てられていました。
そして階段が設けられていて、古墳の上に登れるようになっていました。古墳はお墓なので基本的には上には登っちゃダメなんですよね。
古墳の上から眺めた周辺にある古墳です。画像には数基の古墳しか写っていませんが、全体を見渡すとまさに古墳だらけでした。
そしてたくさんある古墳の中で、この古墳は建物内にあるモニターで古墳内部の様子が見られるようになっていました。
さっそく建物内へ入りました。これが実際に古墳の内部を映した映像です。モニターの操作盤にはカメラのズームや上下左右への移動ができるようになっていましたが、残念なことに全く作動せずこの位置に固定されたままでした。
古墳群の中を通る道路を古墳を眺めながら一回りしたら広い駐車場に車を停めました。駐車場の前には物産館、レストランを兼ねた「西都原ガイダンスセンター このはな館」があります。
駐車場からは西都原古墳群のなかで唯一横穴式石室を持ち、円墳の周囲に土塁(外提)を廻らした、全国的に類のない「鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)」へと歩いて行きました。
円墳の周囲に廻らされた土塁の上から眺めた鬼の窟古墳の主体部と横穴式石室への入り口部分です。
石室の入口部へ行ってみると、照明が点いていたので内部を見ることはできましたが、扉に鍵が掛かっていて入れませんでした。以前りゅう君と訪れた時には扉も無くて内部へ入ることができたんですよね。
鬼の窟古墳を見物したら一旦車を停めた駐車場へ戻って、「ガイダンスセンター このはな館」の裏手へと向かいました。ここにはこれまで見てきた台地上の平坦部に分布する古墳群とは違って、参道らしき道の先に山門のようなものがあって、その先はこんもりと繁った森が広がっていました。この広場は「御陵墓前広場」というそうです。
ここにあるのは帆立貝形古墳としては日本最大の「男狭穂塚古墳」と、前方後円墳としては九州最大の「女狭穂塚古墳」です。ここは皇族に関係する古墳の可能性があることから、宮内庁によって「陵墓参考地」に指定されて立入禁止なんですよね。埋葬者が日本神話のニニギノ尊とコノハナサクヤ姫と伝承されているのも興味深くてロマンがありますよね。
ここには古墳の配置を表したこの様なパネルもありましたが、右側にある前方後円墳の前方部を少し小さくしたような古墳が、帆立貝形古墳の「男狭穂地塚古墳」で、そのすぐ左側に寄り添うようにある前方後円墳が「女狭穂塚古墳」です。
立入禁止の柵の前には「女狭穂塚」と書かれた木札が宮内庁によって立てられていて、その先を眺めたらうっそうと茂った樹木の下は丘のように盛り上がっていました。ここから見えていたのは「女狭穂塚古墳」の前方部の一部のようでしたが、この位置からは「男狭穂塚古墳」は密生した樹木に遮られて全く確認できませんでした。
今回見学したのは西都原古墳群のごく一部ですが、西都原古墳群はとても広い範囲に無数の古墳が分布しているので、資料館や博物館なども含めて見学をすると、一日では見て廻れないでしょうね。
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高鍋町へ入って小丸川(おまるがわ)を渡ったら、県道24号へと分かれて西都市へ入りましたが、これから向かうのは国の特別史跡に指定されている「西都原古墳群」です。
西都原古墳群は標高70mの西都原台地の上に無数の古墳が分布していて、その古墳群の中を道路が通っているので、まずはいくつもの古墳を眺めながら駐車場へと向かいます。画像に写っているのは中規模の前方後円墳ですね。古墳の周りには遊歩道もあって、画像には写っていませんが地元の人と思われる人たちがウォーキングをしていました。
こちらは重なり合うように密集した円墳です。西都原古墳群は11の集団に分かれていて、古墳の総数は311基とも333基ともいわれる日本最大の古墳群です。
西都原古墳群には色んな種類の古墳がありますが、ほとんどの古墳は外から見るとただの小山のようにしか見えませんが、この古墳は墳丘に付随するように建物が建てられていました。
そして階段が設けられていて、古墳の上に登れるようになっていました。古墳はお墓なので基本的には上には登っちゃダメなんですよね。
古墳の上から眺めた周辺にある古墳です。画像には数基の古墳しか写っていませんが、全体を見渡すとまさに古墳だらけでした。
そしてたくさんある古墳の中で、この古墳は建物内にあるモニターで古墳内部の様子が見られるようになっていました。
さっそく建物内へ入りました。これが実際に古墳の内部を映した映像です。モニターの操作盤にはカメラのズームや上下左右への移動ができるようになっていましたが、残念なことに全く作動せずこの位置に固定されたままでした。
古墳群の中を通る道路を古墳を眺めながら一回りしたら広い駐車場に車を停めました。駐車場の前には物産館、レストランを兼ねた「西都原ガイダンスセンター このはな館」があります。
駐車場からは西都原古墳群のなかで唯一横穴式石室を持ち、円墳の周囲に土塁(外提)を廻らした、全国的に類のない「鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)」へと歩いて行きました。
円墳の周囲に廻らされた土塁の上から眺めた鬼の窟古墳の主体部と横穴式石室への入り口部分です。
石室の入口部へ行ってみると、照明が点いていたので内部を見ることはできましたが、扉に鍵が掛かっていて入れませんでした。以前りゅう君と訪れた時には扉も無くて内部へ入ることができたんですよね。
鬼の窟古墳を見物したら一旦車を停めた駐車場へ戻って、「ガイダンスセンター このはな館」の裏手へと向かいました。ここにはこれまで見てきた台地上の平坦部に分布する古墳群とは違って、参道らしき道の先に山門のようなものがあって、その先はこんもりと繁った森が広がっていました。この広場は「御陵墓前広場」というそうです。
ここにあるのは帆立貝形古墳としては日本最大の「男狭穂塚古墳」と、前方後円墳としては九州最大の「女狭穂塚古墳」です。ここは皇族に関係する古墳の可能性があることから、宮内庁によって「陵墓参考地」に指定されて立入禁止なんですよね。埋葬者が日本神話のニニギノ尊とコノハナサクヤ姫と伝承されているのも興味深くてロマンがありますよね。
ここには古墳の配置を表したこの様なパネルもありましたが、右側にある前方後円墳の前方部を少し小さくしたような古墳が、帆立貝形古墳の「男狭穂地塚古墳」で、そのすぐ左側に寄り添うようにある前方後円墳が「女狭穂塚古墳」です。
立入禁止の柵の前には「女狭穂塚」と書かれた木札が宮内庁によって立てられていて、その先を眺めたらうっそうと茂った樹木の下は丘のように盛り上がっていました。ここから見えていたのは「女狭穂塚古墳」の前方部の一部のようでしたが、この位置からは「男狭穂塚古墳」は密生した樹木に遮られて全く確認できませんでした。
今回見学したのは西都原古墳群のごく一部ですが、西都原古墳群はとても広い範囲に無数の古墳が分布しているので、資料館や博物館なども含めて見学をすると、一日では見て廻れないでしょうね。
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