一目八景を出発したら、少し寄り道をしてから帰途につきます。
一目八景を出発したら宇佐市院内町方面へと進んで、道の駅・院内を通り過ぎた少し先から、本耶馬渓へと続く国道500号線へ右折します。
国道500号線へ右折して数百mも走ると、左側に ゛久地橋遊歩道入口 ゛ と書かれた標識が見えてきます。標識の前には駐車スペース?のような空き地があったので、ここに車を停めて歩いて久地橋へと向かいます。
田畑の横を通る遊歩道を2~3百mほど進むと、辺りはうっそうと樹木が茂った薄暗いところになって、小さな石橋が渓谷に架かっていました。
これが今回の最後の目的地の 『久地橋』 です。院内町は石橋の里ともいわれて全国で最も石橋が多くある町ですが、ほとんどの石橋がアーチ橋なのに対して、久地橋は長さが7m以上もある大きな桁石を川に2本渡して、その上に平らな板石を16枚も並べた構造の重厚な桁橋です。
橋のたもとには刻まれた文字もよく分からない石柱がありました。これが説明板に書かれていた重量規制の標柱でしょうか?
ここには久地橋の下流にある大きな岩の上に降りる階段もあって、渓谷から久地橋が眺められるようになっていました。
階段を降りて大きな岩の上から上流側に架かる久地橋を眺めた画像です。久地橋は長さはあまりありませんが、長い石を渓谷に渡しただけの橋なので、下から見るとちょっとスリリングな雰囲気がありますね。
ここからは2本の桁石の上に敷き詰めた板石もよく見えました。この板石は全部で16枚あるそうです。大雑把な計算ですが、一枚の板石が15cm✖45cm✖180cmとすると、板石一枚の重さがおよそ300kgほどになって16枚だと4.8tにもなります。この重たい板石を木製の板にすれば重量制限も緩和されるような気もしますが・・・
橋桁の部分を見たら横方向、縦方向に石柱を組んで桁石を支えていましたが・・・
反対側は自然の岩を削って、石柱を横に2段重ねにした上に桁石を乗せていました。久地橋は明治初期に地元民の手によって造られたといわれていますが、重機等も無かった時代に、よくこれだけの巨石を運んで渓谷に渡して橋を造ったものですね。
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これが今回の最後の目的地の 『久地橋』 です。院内町は石橋の里ともいわれて全国で最も石橋が多くある町ですが、ほとんどの石橋がアーチ橋なのに対して、久地橋は長さが7m以上もある大きな桁石を川に2本渡して、その上に平らな板石を16枚も並べた構造の重厚な桁橋です。
橋のたもとには刻まれた文字もよく分からない石柱がありました。これが説明板に書かれていた重量規制の標柱でしょうか?
ここには久地橋の下流にある大きな岩の上に降りる階段もあって、渓谷から久地橋が眺められるようになっていました。
階段を降りて大きな岩の上から上流側に架かる久地橋を眺めた画像です。久地橋は長さはあまりありませんが、長い石を渓谷に渡しただけの橋なので、下から見るとちょっとスリリングな雰囲気がありますね。
ここからは2本の桁石の上に敷き詰めた板石もよく見えました。この板石は全部で16枚あるそうです。大雑把な計算ですが、一枚の板石が15cm✖45cm✖180cmとすると、板石一枚の重さがおよそ300kgほどになって16枚だと4.8tにもなります。この重たい板石を木製の板にすれば重量制限も緩和されるような気もしますが・・・
橋桁の部分を見たら横方向、縦方向に石柱を組んで桁石を支えていましたが・・・
反対側は自然の岩を削って、石柱を横に2段重ねにした上に桁石を乗せていました。久地橋は明治初期に地元民の手によって造られたといわれていますが、重機等も無かった時代に、よくこれだけの巨石を運んで渓谷に渡して橋を造ったものですね。
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