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旬の記事を3つほど先に載せたので、宇佐市の記事の続きが遅れましたが、今回は宇佐平野に残る戦跡の記事の続きを載せます。

宇佐平野に残る戦争遺構の 「耐弾コンクリート造建物」 を見物したら、次の戦争遺構の見物に向かいますが、ここからは近くの田んぼの中にも遺構が見えます。


この構造物は 「通信室」 と呼ばれる施設で、出入口が六ケ所あって内部は半地下室になっていますが、近くに点在する戦争遺構の整備が進むなかで、この遺構だけは整備されずに手付かずのままでした。




「通信室」 へ行くには雑草の生えた田んぼの畦道しか無くて、ヘビが出てきそうだったので、行くのは断念しました。宇佐平野に残る戦争遺構の見物には過去に何度か訪れていますが、この遺構だけはまだ一度行ったことが無くて、是非行ってみたかっただけに残念です。でも何故ここだけ整備が進んでいなんでしょうか?




「通信室」 を遠くから眺めたら、一旦 「宇佐空の郷」 に戻って冷房の効いた館内で涼んだら、残りの遺構を見物しますが、管理人?のおじさんの話では、他の遺構も整備が進んでいて駐車場も完備しているそうなので、「エンジン調整場」 と 「爆弾池」 へは車で向かいます。




宇佐空の郷を車で出発して最初に寄ったのは 「エンジン調整場(発動機試運転場)」 です。ここは遺構の周囲にロープを巡らしているだけなので、建物の内部を詳しく見ることができます。




画像右下には土台のようなものが見えますが、ここには天井からクレーンで吊るした航空機のエンジンを設置して試運転や整備を行い、その左側の小部屋で試運転の目視や記録などを行っていたそうです。




「エンジン調整場」 を出発して次に寄ったのは、ちょっと離れた田んぼの中にある 「爆弾池」 です。ここはこれまで見てきた遺構の中で最も大規模に整備されていて、広い駐車場と展望台のようなものもありました。ここは以前訪れた時には、田んぼの中に大きな穴(池)があるだけだったんですよね。




駐車場に車を停めたら、さっそく展望台へと行ってみました。




展望台の横には地中に埋まった土管のようなものが、ガラス越しに見れるようになっていますが、この土管は直径36cm、長さは1本が2mの円筒管で、表面には無数の小さな穴が開いる排水設備だそうです。




展望台へ上がってみました。画像は南西方向を眺めた景色ですが、ここからは宇佐平野の田園地帯が一望できますが、当時は滑走路があったので、戦闘機を爆撃から守る掩体壕が今でもいくつか残っています。ここからは遠くに宇佐市の山々や、画像の右端には中津市の八面山も見えました。




展望台の上から眺めた米軍の爆撃によってできた 「爆弾池」 です。終戦直後には無数の爆弾穴があったそうですが、現在も残っているのはこの一ヶ所だけだそうです。この穴はB29爆撃機から投下された500ポンド(227kg)時限爆弾による穴だといわれています。




北東の方角には 「宇佐空の郷」 がありますが、左の丸印は先ほど見物したばかりの 「落下傘整備所」 で、 右の丸印には近くまで行くことができなかった 「通信室」 の遺構が小さく見えました。当時の宇佐海軍航空他はとてつもなく広い敷地だったんですね。




爆弾池を出発したら、宇佐海軍航空隊の滑走路跡に造られた一直線の道路を走って宇佐市街地へと向かいますが、途中で 「城井(じょうい)一号掩体壕」 へ寄ってみました。ここは宇佐平野に残る戦争遺構のなかでは最も早く整備されたところで、この場所には 「宇佐市平和ミュージアム(仮称)」 の建設が予定されているそうです。



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