島原まゆやまロードを登って行くと雲仙岳がだんだん近づいてきます、
途中に展望台があったので寄ってみました、雲仙岳は噴火した普賢岳を含めて三峰五岳の総称ですが噴火によって出来た溶岩ドームには平成新山の名前が付けられています、
ここからは水無川と旧大野木場小学校跡も見えました、火砕流は水無川に沿って流れたそうですからこの位置から眺めたら小学校の真横を通ったのがよく分かりますね、
水無川の上流部には土石流によって流された巨石がいくつもありましたが噴火から24年が経ち火砕流、土石流で山肌が剥き出しになっていたところにも樹木が生え始めて元の姿に戻りつつあるようでした、
でも山頂の溶岩ドーム付近は樹木が一本も無いこんな荒々しい姿です、所々からは蒸気も出ていてまだ活動が続いているんでしょうね、
島原まゆやまロードはピークを過ぎて下り坂になると前方に緑豊な山が見えてきました、眉山でしょうか?
そしてしばらくすると千本木展望台に到着しました、
ここにも写真パネルがありましたがここでも大規模な火砕流によって大きな被害があったんですね、
ここから眺めた雲仙岳です、ここでも24年の歳月によって火砕流が発生した当時の面影は無く緑で覆い尽くされていました、
千本木展望台を出発するとすぐに有明海と島原市街が見えてきます、火砕流は島原市街の直前にまで迫っていたんですね、
島原市街へ入り島原城に到着しました、ここは城内に駐車場があるので歩く距離が短くて楽ですね、
島原城から見た島原市街とその向こうに見えるのは手前の山が眉山でその奥が雲仙岳です、眉山が盾の役目をして火砕流から島原市街を守ったのがよく分かりますね、
さぁ、これから城内の見学です、島原城はバッグに入っていればワンコも一緒に見学が出来るのでありがたいですね、
城内の案内図です、
さっそく城内の展示物を見学します、島原城ではりゅう君を車に残さなくてよいので助かりますね、
ここは二階の郷土資料館で甲冑などが展示されていました、島原城は何度も領主が変わったそうですが歴代藩主が身に着けていた甲冑なんでしょうか?
りゅう君も興味深そうに首を長~くして甲冑を眺めています、りゅう君ってもしかして歴犬?(笑)
最上階の展望台まで来ました、
パンフレットではここから島原市内から熊本の山々までが展望できると書いていましたが残念ながら熊本方面は空気が霞んでいて見えませんでした、画像は島原鉄道の島原駅です、
城内の見学が終わってお城を出ようとしたら入り口では戦国武将の衣装を着たお姉さんが音楽に合わせて踊っていました、
りゅうママが大急ぎで裏口から出て撮影したのがこの一枚です、この人たちは島原城七万石武将隊といって左が島原の乱の一機軍総大将の天草四郎時貞で右がキリシタン大名の有馬晴信です、このお姉さんたちはとっても元気が良くて受付の手伝いから掃除までしていました(笑)
城内の見学が終わったらりゅう君のお散歩です、ここは天守閣内以外は自由にワンコのお散歩をさせる事が出来ます、
お散歩が終わってりゅうママとベンチで休憩中のりゅう君です、休憩を済ませたら今夜のお宿へと向かいます、
島原城を出発したら島原駅の前を通りました、駅前には島原の子守唄の銅像が立っていました、
お宿へチェックインするのにまだ少し時間があったので諫早湾干拓堤防道路(潮受堤防)に寄りました、でもりゅう君はここで今回初めてのヤダヤダです、りゅう君はここへは3度ほど来た事がありますがお散歩場所がほとんど無いのを知っていますからねぇ~
ここは諫早湾干拓事業で造られた堤防の上にほぼ一直線に道路を建設しているので堤防の真ん中にある歩道橋から島原側を見たら端が見えないほどの一直線の道路が伸びています、
そして反対側もこのように端が見えないほどの一直線の道路です、この道路は総延長が7kmほどあるそうです、
潮受堤防を出発したらいよいよ今夜のお宿のマリティームさんへ20分ほどで到着です、でもりゅう君は今日一日の疲れが出たのか?すでにウトウト中です、お宿に着いたらゆっくり休ませてあげたいですね。
途中に展望台があったので寄ってみました、雲仙岳は噴火した普賢岳を含めて三峰五岳の総称ですが噴火によって出来た溶岩ドームには平成新山の名前が付けられています、
ここからは水無川と旧大野木場小学校跡も見えました、火砕流は水無川に沿って流れたそうですからこの位置から眺めたら小学校の真横を通ったのがよく分かりますね、
水無川の上流部には土石流によって流された巨石がいくつもありましたが噴火から24年が経ち火砕流、土石流で山肌が剥き出しになっていたところにも樹木が生え始めて元の姿に戻りつつあるようでした、
でも山頂の溶岩ドーム付近は樹木が一本も無いこんな荒々しい姿です、所々からは蒸気も出ていてまだ活動が続いているんでしょうね、
島原まゆやまロードはピークを過ぎて下り坂になると前方に緑豊な山が見えてきました、眉山でしょうか?
そしてしばらくすると千本木展望台に到着しました、
ここにも写真パネルがありましたがここでも大規模な火砕流によって大きな被害があったんですね、
ここから眺めた雲仙岳です、ここでも24年の歳月によって火砕流が発生した当時の面影は無く緑で覆い尽くされていました、
千本木展望台を出発するとすぐに有明海と島原市街が見えてきます、火砕流は島原市街の直前にまで迫っていたんですね、
島原市街へ入り島原城に到着しました、ここは城内に駐車場があるので歩く距離が短くて楽ですね、
島原城から見た島原市街とその向こうに見えるのは手前の山が眉山でその奥が雲仙岳です、眉山が盾の役目をして火砕流から島原市街を守ったのがよく分かりますね、
さぁ、これから城内の見学です、島原城はバッグに入っていればワンコも一緒に見学が出来るのでありがたいですね、
城内の案内図です、
さっそく城内の展示物を見学します、島原城ではりゅう君を車に残さなくてよいので助かりますね、
ここは二階の郷土資料館で甲冑などが展示されていました、島原城は何度も領主が変わったそうですが歴代藩主が身に着けていた甲冑なんでしょうか?
りゅう君も興味深そうに首を長~くして甲冑を眺めています、りゅう君ってもしかして歴犬?(笑)
最上階の展望台まで来ました、
パンフレットではここから島原市内から熊本の山々までが展望できると書いていましたが残念ながら熊本方面は空気が霞んでいて見えませんでした、画像は島原鉄道の島原駅です、
城内の見学が終わってお城を出ようとしたら入り口では戦国武将の衣装を着たお姉さんが音楽に合わせて踊っていました、
りゅうママが大急ぎで裏口から出て撮影したのがこの一枚です、この人たちは島原城七万石武将隊といって左が島原の乱の一機軍総大将の天草四郎時貞で右がキリシタン大名の有馬晴信です、このお姉さんたちはとっても元気が良くて受付の手伝いから掃除までしていました(笑)
城内の見学が終わったらりゅう君のお散歩です、ここは天守閣内以外は自由にワンコのお散歩をさせる事が出来ます、
お散歩が終わってりゅうママとベンチで休憩中のりゅう君です、休憩を済ませたら今夜のお宿へと向かいます、
島原城を出発したら島原駅の前を通りました、駅前には島原の子守唄の銅像が立っていました、
お宿へチェックインするのにまだ少し時間があったので諫早湾干拓堤防道路(潮受堤防)に寄りました、でもりゅう君はここで今回初めてのヤダヤダです、りゅう君はここへは3度ほど来た事がありますがお散歩場所がほとんど無いのを知っていますからねぇ~
ここは諫早湾干拓事業で造られた堤防の上にほぼ一直線に道路を建設しているので堤防の真ん中にある歩道橋から島原側を見たら端が見えないほどの一直線の道路が伸びています、
そして反対側もこのように端が見えないほどの一直線の道路です、この道路は総延長が7kmほどあるそうです、
潮受堤防を出発したらいよいよ今夜のお宿のマリティームさんへ20分ほどで到着です、でもりゅう君は今日一日の疲れが出たのか?すでにウトウト中です、お宿に着いたらゆっくり休ませてあげたいですね。
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Comment
1
島原城は、いったことがあるよ、りゅうくん。
りゅうくんもしっかりとチェックしていますねぇ~。
車も少なくて、絶好のワン旅日和ですね。
最近、阿蘇や桜島、御嶽山、大涌谷などあちこちで
噴煙がです、温泉という、いい面ばかり見ていましたが、
火山国、日本!が、しっかりと頭に入りますよ。
りゅうくん、あそこが景色がいいから、新緑で目にもよさそうだね、ゆっくりごろごろと、ね、
車も少なくて、絶好のワン旅日和ですね。
最近、阿蘇や桜島、御嶽山、大涌谷などあちこちで
噴煙がです、温泉という、いい面ばかり見ていましたが、
火山国、日本!が、しっかりと頭に入りますよ。
りゅうくん、あそこが景色がいいから、新緑で目にもよさそうだね、ゆっくりごろごろと、ね、
RE.1
こんにちは、びびさん
今回の旅行は運よく天気にも恵まれてのんびりゆっくりと料理を堪能出来ました、でも最近の日本列島の異常気象を見ていると島原も心配ですね、
GW最終日の今日は久住方面へドライブに行って来ました、ワラビはもう遅いかと思いましたがいい穴場?を見つけてたくさん採れましたよ、でも採ったのはりゅうママで私はその間りゅう君のお散歩をしていました(笑)
GW最終日の今日は久住方面へドライブに行って来ました、ワラビはもう遅いかと思いましたがいい穴場?を見つけてたくさん採れましたよ、でも採ったのはりゅうママで私はその間りゅう君のお散歩をしていました(笑)
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