震災遺構の東海大学阿蘇校舎を出発したら、急きょ予定を変更して来た道を少しだけ戻ります。
これから向かうのは阿蘇大橋の崩落現場です。ここへは東海大学阿蘇校舎でボランティアガイドのおじさんからルートを教えてもらって行きましたが、県道149号線を少しだけ戻って右側に 「 猪カレー まどか 」 の看板が立っているところを右折します。このお店は熊本地震の復興が進む前から復興カレーの看板を掲げてお店を再開して、復興のシンボルとしてテレビ等で話題になったお店です。
「 猪カレー まどか 」 がある県道149号線の交差点から少し狭い道を下って行くと、2~300mほどで阿蘇大橋から高森町へと続いていた国道325号線へ突き当たって、正面には新阿蘇大橋の建設現場が見えてきます。
そしてすぐ右が阿蘇大橋の崩落現場ですが、立入禁止のバリケードが置かれているだけで崩落当時のままの状態でした。道路標識には200m先が国道57号と表示されていますが、阿蘇大橋の全長が206mだったので、標識の位置は阿蘇大橋の付け根に当たるようです。そしてその先は黒川が流れる深い谷になっていて、阿蘇大橋の痕跡は何も残っていませんでした。
望遠で黒川の向こう側を撮影したら、大崩落を起こした斜面の修復工事が行われていましたが、この翌日にはJR豊肥本線が開通して、この斜面の裾野を4年ぶりに電車が走ったんですよね。
阿蘇大橋は完全に崩落していて、かろうじて残った欄干部分に 「 あそおおはし 」 と刻まれた銘板だけが残っていました。
でもこの銘板も横から見ると、銘板のある橋の付け根部分が残っているだけで、その先には橋桁等は全くありませんでした。このすぐ下の斜面には崩落した橋桁の一部が引っかかっているそうで、対岸のJR豊肥本線を走る電車からは見ることができるそうです。そしてこの崩落した橋桁も震災遺構としての保存を検討しているそうです。
国道57号線から阿蘇大橋を渡って右方向へ進むと、国道325号線を通って高森町方面へと行けましたが、橋を渡ってすぐに左折すると、美しいケヤキ並木の道路が東海大学阿蘇キャンパスの正面玄関まで続いていました。でもこの道も今は一般の車は通行することができません。
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これから向かうのは阿蘇大橋の崩落現場です。ここへは東海大学阿蘇校舎でボランティアガイドのおじさんからルートを教えてもらって行きましたが、県道149号線を少しだけ戻って右側に 「 猪カレー まどか 」 の看板が立っているところを右折します。このお店は熊本地震の復興が進む前から復興カレーの看板を掲げてお店を再開して、復興のシンボルとしてテレビ等で話題になったお店です。
「 猪カレー まどか 」 がある県道149号線の交差点から少し狭い道を下って行くと、2~300mほどで阿蘇大橋から高森町へと続いていた国道325号線へ突き当たって、正面には新阿蘇大橋の建設現場が見えてきます。
そしてすぐ右が阿蘇大橋の崩落現場ですが、立入禁止のバリケードが置かれているだけで崩落当時のままの状態でした。道路標識には200m先が国道57号と表示されていますが、阿蘇大橋の全長が206mだったので、標識の位置は阿蘇大橋の付け根に当たるようです。そしてその先は黒川が流れる深い谷になっていて、阿蘇大橋の痕跡は何も残っていませんでした。
望遠で黒川の向こう側を撮影したら、大崩落を起こした斜面の修復工事が行われていましたが、この翌日にはJR豊肥本線が開通して、この斜面の裾野を4年ぶりに電車が走ったんですよね。
阿蘇大橋は完全に崩落していて、かろうじて残った欄干部分に 「 あそおおはし 」 と刻まれた銘板だけが残っていました。
でもこの銘板も横から見ると、銘板のある橋の付け根部分が残っているだけで、その先には橋桁等は全くありませんでした。このすぐ下の斜面には崩落した橋桁の一部が引っかかっているそうで、対岸のJR豊肥本線を走る電車からは見ることができるそうです。そしてこの崩落した橋桁も震災遺構としての保存を検討しているそうです。
国道57号線から阿蘇大橋を渡って右方向へ進むと、国道325号線を通って高森町方面へと行けましたが、橋を渡ってすぐに左折すると、美しいケヤキ並木の道路が東海大学阿蘇キャンパスの正面玄関まで続いていました。でもこの道も今は一般の車は通行することができません。
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