お倉ヶ浜でLCACのビーチング訓練の見物をしたら、国道10号から国道327号へ左折して次の目的地へと向かいます。
国道327号は九州の秘境といわれる椎葉村や諸塚村へと続く国道ですが、国道10号から左折するとすぐに山が幾重にも重なりあった光景が見えてきて、いかにも秘境に向かっているって感じがします。
国道327号をさらに進むとこの様な標識が見えてきました。平家の悲しい落人伝説が残る椎葉村の「鶴富屋敷」も訪れたいところですが、ここからまだ71kmも先なので、いちばん近いところにある「若山牧水生家」へと向かいます。
若山牧水の生家を目指してさらに山奥へ進んで行くと、以前このブログでも載せた「道の駅 とうごう」が見えてきます。若山牧水は旧東臼杵郡東郷村の生まれなので、この辺りは若山牧水の故郷になるんですね。
若山牧水の生家へは「道の駅 とうごう」からは交差点を左折して国道446号を進みます。国道446号を7kmほど進むと「若山牧水記念文学館」と書かれた看板が見えてきます。若山牧水の生家はすぐ先の道路上に小さく標識が見えているところですが、まずはこちらへ寄ってみます。
ここは「牧水公園」という広大な敷地に複合遊具やコテージ、多目的グランドなどがあるところで、「若山牧水記念文学館」は公園の入口にあります。今回は時間の都合で周辺を簡単に見ただけですが、すぐ近くには若山牧水の銅像がありました。若山牧水は生涯にわたって旅をして各地に歌碑を残しているのでこの銅像も旅装束でした。
「牧水公園」を少しだけ見物したら、すぐ近くにある若山牧水の生家へと向かいます。画像に写っている家屋が若山牧水の生家ですが、ここは国道446号沿いにあって、生家の前は広い駐車帯になっています。著名人の生家が国道に面してあるのは珍しいですね。
広い駐車帯の一角には朽ちかけたこの様な説明板がありました。生家の横にはかつては記念館もあったそうですが、今は牧水公園内の「若山牧水記念文学館」に著書や遺品は移されているそうです。
そして何よりも驚いたのが、国道沿いにあって誰もが立ち寄れる場所にある生家なのに、管理人もいなくて家屋の雨戸、障子は全て開け放たれて、内部が自由に見学ができるようになっていることでした。
牧水はこの家で医師の長男として生まれ、旧制延岡中学校から早稲田大学へと進みましたが、牧水の本名は若山繁といって、牧は母親の名前の「まき」から、そして水は生家の周りの川(溪)などから名付けたそうです。
牧水の生家は畳の間には上がることができませんが、土間部分には自由に出入りができるので、当時の流し台やかまどなどを見ることもできます。
診察室を兼ねた母屋の横には井戸や馬小屋なども残されていました。
馬小屋の中にはこの様な説明文もありました。若山牧水の家系は代々医者だったんでしょうね?
畳の間には昭和2年7月に妻の喜志子を伴って帰郷した時の写真もありました。同じ頃に早稲田大学に入学した放浪の俳人といわれる種田山頭火が、修行僧(雲水)の姿で歩いて旅をして句作を行ったのに対して、若山牧水は鉄道旅行を好んで旅の歌人として日本各地に歌碑を残しています。
牧水は43歳で亡くなりましたが、一日に一升以上の酒を飲むほどの酒豪で、死因も肝硬変だったそうですが、死後も大量飲酒にまつわる逸話が残っているので、興味のある人は調べてみて下さいね。
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国道327号は九州の秘境といわれる椎葉村や諸塚村へと続く国道ですが、国道10号から左折するとすぐに山が幾重にも重なりあった光景が見えてきて、いかにも秘境に向かっているって感じがします。
国道327号をさらに進むとこの様な標識が見えてきました。平家の悲しい落人伝説が残る椎葉村の「鶴富屋敷」も訪れたいところですが、ここからまだ71kmも先なので、いちばん近いところにある「若山牧水生家」へと向かいます。
若山牧水の生家を目指してさらに山奥へ進んで行くと、以前このブログでも載せた「道の駅 とうごう」が見えてきます。若山牧水は旧東臼杵郡東郷村の生まれなので、この辺りは若山牧水の故郷になるんですね。
若山牧水の生家へは「道の駅 とうごう」からは交差点を左折して国道446号を進みます。国道446号を7kmほど進むと「若山牧水記念文学館」と書かれた看板が見えてきます。若山牧水の生家はすぐ先の道路上に小さく標識が見えているところですが、まずはこちらへ寄ってみます。
ここは「牧水公園」という広大な敷地に複合遊具やコテージ、多目的グランドなどがあるところで、「若山牧水記念文学館」は公園の入口にあります。今回は時間の都合で周辺を簡単に見ただけですが、すぐ近くには若山牧水の銅像がありました。若山牧水は生涯にわたって旅をして各地に歌碑を残しているのでこの銅像も旅装束でした。
「牧水公園」を少しだけ見物したら、すぐ近くにある若山牧水の生家へと向かいます。画像に写っている家屋が若山牧水の生家ですが、ここは国道446号沿いにあって、生家の前は広い駐車帯になっています。著名人の生家が国道に面してあるのは珍しいですね。
広い駐車帯の一角には朽ちかけたこの様な説明板がありました。生家の横にはかつては記念館もあったそうですが、今は牧水公園内の「若山牧水記念文学館」に著書や遺品は移されているそうです。
そして何よりも驚いたのが、国道沿いにあって誰もが立ち寄れる場所にある生家なのに、管理人もいなくて家屋の雨戸、障子は全て開け放たれて、内部が自由に見学ができるようになっていることでした。
牧水はこの家で医師の長男として生まれ、旧制延岡中学校から早稲田大学へと進みましたが、牧水の本名は若山繁といって、牧は母親の名前の「まき」から、そして水は生家の周りの川(溪)などから名付けたそうです。
牧水の生家は畳の間には上がることができませんが、土間部分には自由に出入りができるので、当時の流し台やかまどなどを見ることもできます。
診察室を兼ねた母屋の横には井戸や馬小屋なども残されていました。
馬小屋の中にはこの様な説明文もありました。若山牧水の家系は代々医者だったんでしょうね?
畳の間には昭和2年7月に妻の喜志子を伴って帰郷した時の写真もありました。同じ頃に早稲田大学に入学した放浪の俳人といわれる種田山頭火が、修行僧(雲水)の姿で歩いて旅をして句作を行ったのに対して、若山牧水は鉄道旅行を好んで旅の歌人として日本各地に歌碑を残しています。
牧水は43歳で亡くなりましたが、一日に一升以上の酒を飲むほどの酒豪で、死因も肝硬変だったそうですが、死後も大量飲酒にまつわる逸話が残っているので、興味のある人は調べてみて下さいね。
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