謎だらけの隧道遺構「トンカラリン」を出発したら、次の目的地の「江田船山古墳公園」へと向かいました。
画像は「道の駅 きくすい」から県道16号へ出てすぐのところです。左側の斜め上へ登っているガードレールの先が謎の隧道遺構の「トンカラリン」で、道路を挟んだ反対の白い看板が立っているところが、これから向かう「江田船山古墳公園」です。どちらも道の駅からは歩いて行けるほどの近い距離なんですよね。
江田船山古墳公園はとても広い敷地内に古墳が点在していて、県道16号を走っていると、突然現れてビックリするような巨大な石人像と看板が公園内に立っています。この画像は公園内から撮影したので石人が横向きになっていますが・・・
県道16号からはこの様に見えます。この石人像は高さが6mもあって、丘の頂部の道路を登り切ったところに立っているので、車の運転をしていてもとても目立つ存在なんですよね。
公園内はよく整備されていて、広い敷地内に車道も通っているので、古墳から古墳へと車での移動もできます。そして芝生広場の所々にはこの様な巨大な樹木が生えているところがありますが、ここは全長62m、後円部の直径が41mもある前方後円墳の「江田船山古墳」です。
江田船山古墳は少し離れて眺めると、こんもりと樹木が繁っているようにしか見えませんが、大木の根元へ行って前方後円墳の後円部へ登ってみると、ブロックで造りで鉄の扉がある倉庫のような建物がありました。
頑丈な鉄の扉にはこの様なプレートがあって、ここが江田船山古墳の石棺保存施設の入口になります。この扉には鍵が掛かってなくて、誰でも自由に内部へ入って石棺の見学をすることができるんですよね。
さっそく扉を開けて内部へ入ってみました。内部に入ると正面はガラスで外気などから遮断されていて、このガラスの中に石棺があります。ここを訪れるのは2度目ですが、前回訪れた時には無かった土嚢が左右に高く積まれていました。これも熊本地震の影響なんでしょうか?
ガラス越しに内部を覗いてみると石棺が見えましたが、ガラスの前は狭い部屋で左右には土嚢も積まれていたので、石棺は真正面からしか見れなくて石棺全体の大きさはよく分かりませんでしたが、この石棺は全長2.2m、高さ1.45m、幅は1.1mもあるそうです。
これまでいくつもの古墳を見学しましたが、この様にガラスで外気などから遮断されて保存されていて、しかも誰でも無料で自由に見学のできる古墳はここ以外には知りません。
江田船山古墳は国指定史跡ですが、ここには他にも国指定史跡の古墳や、国指定重要文化財の家屋などもあるので、公園内を歩いて他の古墳などの見学をします。どれも車で行くこともできますが、緑いっぱいのきれいな公園なので歩いて廻ったほうが気持ちがいいですからね。
江田船山古墳のすぐ近くには、江田船山古墳と同じように大木が繁った古墳がありました。この古墳は前方後円墳の前方部を短くしたような帆立貝式古墳の「虚空蔵塚古墳」です。この古墳は全長44.5mで、後円部の直径は32mあるそうです。
江田船山古墳から少し離れたところには、樹木が全く繁っていない古墳がありました。この古墳も前方後円墳で全長43.4m、後円部の直径29.6mの「塚坊主古墳」です。
この古墳もガラス越しに石棺の見学ができると色んなサイトに載っていましたが、和水町のHPによると通常は古墳保護のために扉は施錠されていて、一般公開をするのは年に2度ほどと書かれていました。この時も扉には鍵が掛かっていて内部に入ることができませんでした。
塚坊主古墳の近くには国指定重要文化財で江戸時代末期の1830年に建てられた「旧境家住宅」があります。
内部はこの様な造りになっていました。奥は畳の部屋で手前は板張りの部屋でしたが、なぜか板張りの部屋の端っこに囲炉裏がありました。囲炉裏って普通は部屋の中央部にあって、囲炉裏を取り囲むように四方に家族が座るイメージがありますが、この囲炉裏は三方にしか座れませんよね。
そしてこの囲炉裏には「おまえ」と書かれた木片が立てられていましたが、「おまえ」って何のことなんでしょうね?
建物の裏手に廻ってみると、上部と横に大きな穴が開いた石を削って造られた不思議な形のものがありました。中にはお風呂と書いたプレートが置かれていましたが、どうやって水を溜めるのか、焚口はどこなのか全く不明でした。もしかしたら上向きの穴には鉄製の釜を置いて、横向きの穴が焚口になるのかも知れませんね?
江田船山古墳公園はとても広くて、ギャラリーや何軒もの古民家を移築した「肥後民芸村」などもあって、公園の周囲にはきれいな川も流れているので、いつかじっくりと散策をしてみたいですね。
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画像は「道の駅 きくすい」から県道16号へ出てすぐのところです。左側の斜め上へ登っているガードレールの先が謎の隧道遺構の「トンカラリン」で、道路を挟んだ反対の白い看板が立っているところが、これから向かう「江田船山古墳公園」です。どちらも道の駅からは歩いて行けるほどの近い距離なんですよね。
江田船山古墳公園はとても広い敷地内に古墳が点在していて、県道16号を走っていると、突然現れてビックリするような巨大な石人像と看板が公園内に立っています。この画像は公園内から撮影したので石人が横向きになっていますが・・・
県道16号からはこの様に見えます。この石人像は高さが6mもあって、丘の頂部の道路を登り切ったところに立っているので、車の運転をしていてもとても目立つ存在なんですよね。
公園内はよく整備されていて、広い敷地内に車道も通っているので、古墳から古墳へと車での移動もできます。そして芝生広場の所々にはこの様な巨大な樹木が生えているところがありますが、ここは全長62m、後円部の直径が41mもある前方後円墳の「江田船山古墳」です。
江田船山古墳は少し離れて眺めると、こんもりと樹木が繁っているようにしか見えませんが、大木の根元へ行って前方後円墳の後円部へ登ってみると、ブロックで造りで鉄の扉がある倉庫のような建物がありました。
頑丈な鉄の扉にはこの様なプレートがあって、ここが江田船山古墳の石棺保存施設の入口になります。この扉には鍵が掛かってなくて、誰でも自由に内部へ入って石棺の見学をすることができるんですよね。
さっそく扉を開けて内部へ入ってみました。内部に入ると正面はガラスで外気などから遮断されていて、このガラスの中に石棺があります。ここを訪れるのは2度目ですが、前回訪れた時には無かった土嚢が左右に高く積まれていました。これも熊本地震の影響なんでしょうか?
ガラス越しに内部を覗いてみると石棺が見えましたが、ガラスの前は狭い部屋で左右には土嚢も積まれていたので、石棺は真正面からしか見れなくて石棺全体の大きさはよく分かりませんでしたが、この石棺は全長2.2m、高さ1.45m、幅は1.1mもあるそうです。
これまでいくつもの古墳を見学しましたが、この様にガラスで外気などから遮断されて保存されていて、しかも誰でも無料で自由に見学のできる古墳はここ以外には知りません。
江田船山古墳は国指定史跡ですが、ここには他にも国指定史跡の古墳や、国指定重要文化財の家屋などもあるので、公園内を歩いて他の古墳などの見学をします。どれも車で行くこともできますが、緑いっぱいのきれいな公園なので歩いて廻ったほうが気持ちがいいですからね。
江田船山古墳のすぐ近くには、江田船山古墳と同じように大木が繁った古墳がありました。この古墳は前方後円墳の前方部を短くしたような帆立貝式古墳の「虚空蔵塚古墳」です。この古墳は全長44.5mで、後円部の直径は32mあるそうです。
江田船山古墳から少し離れたところには、樹木が全く繁っていない古墳がありました。この古墳も前方後円墳で全長43.4m、後円部の直径29.6mの「塚坊主古墳」です。
この古墳もガラス越しに石棺の見学ができると色んなサイトに載っていましたが、和水町のHPによると通常は古墳保護のために扉は施錠されていて、一般公開をするのは年に2度ほどと書かれていました。この時も扉には鍵が掛かっていて内部に入ることができませんでした。
塚坊主古墳の近くには国指定重要文化財で江戸時代末期の1830年に建てられた「旧境家住宅」があります。
内部はこの様な造りになっていました。奥は畳の部屋で手前は板張りの部屋でしたが、なぜか板張りの部屋の端っこに囲炉裏がありました。囲炉裏って普通は部屋の中央部にあって、囲炉裏を取り囲むように四方に家族が座るイメージがありますが、この囲炉裏は三方にしか座れませんよね。
そしてこの囲炉裏には「おまえ」と書かれた木片が立てられていましたが、「おまえ」って何のことなんでしょうね?
建物の裏手に廻ってみると、上部と横に大きな穴が開いた石を削って造られた不思議な形のものがありました。中にはお風呂と書いたプレートが置かれていましたが、どうやって水を溜めるのか、焚口はどこなのか全く不明でした。もしかしたら上向きの穴には鉄製の釜を置いて、横向きの穴が焚口になるのかも知れませんね?
江田船山古墳公園はとても広くて、ギャラリーや何軒もの古民家を移築した「肥後民芸村」などもあって、公園の周囲にはきれいな川も流れているので、いつかじっくりと散策をしてみたいですね。
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