江田船山古墳公園を出発したら、県道16号を玉名市方面へと進みました。
江田船山古墳公園から県道16号へ出ると、すぐにこの様な標識が見えてきますが、標識には「有明フェリー」とも書かれていました。ここから17kmほど進んだ玉名市長洲港からは長崎県の島原半島へと渡るフェリーが出ているんですよね。
県道16号を3㎞ほど玉名市方面へ走ると、道路沿いには次の目的地の「金栗四三翁 住家・資料館及び墓所」と書かれた標識が見えてきたので、この先の交差点を矢印に従って左折しました。
県道16号を左折すると周囲には田んぼが広がっていて、道は山の中へと入って行きますが、山への登り坂になる手前の二つ目の十字路を右折すると、すぐにパーキングの看板が立った広い空き地が見えてくるのでここに車を停めました。
空き地の奥には「金栗四三 ゆかりの地 玉名」と書かれた横断幕が掲げられています。ここが「金栗四三の住家・資料館」などの駐車場になります。空き地はかなり広くてたくさんの車が停められそうでした。
駐車場の奥には「金栗四三 ゆかりの地 小田へ」と書かれた案内板があって、金栗四三の住家や資料館以外にも近隣の見どころなどが載っていました。金栗四三は和水町の造り酒屋を営む名家の8人兄弟の7番目として生まれましたが、22歳の時に小田の池辺家へ養子に入ったので、以後の本名は池辺四三となったので、ここは金栗(池辺)四三にとっては第二の故郷になるんですよね。
駐車場に車を停めたら、さっそく金栗四三の住家・資料館へ向かって集落の中の狭い車道を歩きました。
狭い道をしばらく進むと、周囲に田んぼが広がる中に金栗四三と書かれた幟がズラリと立っていて、その先に家屋が見えてきました。ここが金栗四三の住家・資料館です。ここへ来るまでにも道路沿いにはこの様な幟がたくさん立てられていて、小田地区は金栗四三一色って感じでした。
たくさんの幟が立っている道を歩きながら、ふと右側の山の方を眺めると、用水池(山部田池)の土手に大きく白い文字で「いだてん」と書かれていました。2019年に放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」で、金栗四三が紹介されなければ、小田地区もここまで有名になってなかったでしょうね?
建物の前まで来ました。左の屋根だけが見えている小さな建物が資料館で、右の2階建ての建物は金栗四三が池辺家へ養子に入って晩年までを妻子と過ごした住居です。
でも玄関前まで行ってみると、門扉には鍵が掛けられていて入ることができませんでした。この日は水曜日で残念ながら休館日だったんですよね。よく調べてなかったので、今回もやらかしちゃいましたね(笑)
とりあえず門扉の外から敷地内を撮影しました。この建物が金栗四三資料館です。小さな建物でしたが、せっかくここまで来たので内部は見たかったですね。
資料館の横には金栗四三の等身大のパネルもありました。「体力 気力 努力」は金栗四三の座右の銘ともいえる大切にしていた言葉で、体力 = 健康な体、気力 = 初志貫徹の意志力、努力 = 忍耐の継続を表すそうです。ちなみに金栗四三は幼少期には虚弱体質だったそうです。
資料館と母屋の間には井戸水を手押しポンプで汲み上げる小屋がありました。ここは金栗四三が冷水浴をしていたところで、大河ドラマ「いだてん」の中でも真冬に冷水浴をするシーンが何度か出ていましたよね。
そしてこの建物が金栗四三の住んでいた家です。金栗四三が養子に入った池辺家は資産家で、当主が亡くなったので四三を池辺家の跡継ぎにするために養子に迎えたそうです。
この日は時間があれば和水町にある金栗四三の生家も訪れたかったんですが、道の駅 きくすい からは直線距離で10km以上も反対方向に走ることになるので断念したんですよね。
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江田船山古墳公園から県道16号へ出ると、すぐにこの様な標識が見えてきますが、標識には「有明フェリー」とも書かれていました。ここから17kmほど進んだ玉名市長洲港からは長崎県の島原半島へと渡るフェリーが出ているんですよね。
県道16号を3㎞ほど玉名市方面へ走ると、道路沿いには次の目的地の「金栗四三翁 住家・資料館及び墓所」と書かれた標識が見えてきたので、この先の交差点を矢印に従って左折しました。
県道16号を左折すると周囲には田んぼが広がっていて、道は山の中へと入って行きますが、山への登り坂になる手前の二つ目の十字路を右折すると、すぐにパーキングの看板が立った広い空き地が見えてくるのでここに車を停めました。
空き地の奥には「金栗四三 ゆかりの地 玉名」と書かれた横断幕が掲げられています。ここが「金栗四三の住家・資料館」などの駐車場になります。空き地はかなり広くてたくさんの車が停められそうでした。
駐車場の奥には「金栗四三 ゆかりの地 小田へ」と書かれた案内板があって、金栗四三の住家や資料館以外にも近隣の見どころなどが載っていました。金栗四三は和水町の造り酒屋を営む名家の8人兄弟の7番目として生まれましたが、22歳の時に小田の池辺家へ養子に入ったので、以後の本名は池辺四三となったので、ここは金栗(池辺)四三にとっては第二の故郷になるんですよね。
駐車場に車を停めたら、さっそく金栗四三の住家・資料館へ向かって集落の中の狭い車道を歩きました。
狭い道をしばらく進むと、周囲に田んぼが広がる中に金栗四三と書かれた幟がズラリと立っていて、その先に家屋が見えてきました。ここが金栗四三の住家・資料館です。ここへ来るまでにも道路沿いにはこの様な幟がたくさん立てられていて、小田地区は金栗四三一色って感じでした。
たくさんの幟が立っている道を歩きながら、ふと右側の山の方を眺めると、用水池(山部田池)の土手に大きく白い文字で「いだてん」と書かれていました。2019年に放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」で、金栗四三が紹介されなければ、小田地区もここまで有名になってなかったでしょうね?
建物の前まで来ました。左の屋根だけが見えている小さな建物が資料館で、右の2階建ての建物は金栗四三が池辺家へ養子に入って晩年までを妻子と過ごした住居です。
でも玄関前まで行ってみると、門扉には鍵が掛けられていて入ることができませんでした。この日は水曜日で残念ながら休館日だったんですよね。よく調べてなかったので、今回もやらかしちゃいましたね(笑)
とりあえず門扉の外から敷地内を撮影しました。この建物が金栗四三資料館です。小さな建物でしたが、せっかくここまで来たので内部は見たかったですね。
資料館の横には金栗四三の等身大のパネルもありました。「体力 気力 努力」は金栗四三の座右の銘ともいえる大切にしていた言葉で、体力 = 健康な体、気力 = 初志貫徹の意志力、努力 = 忍耐の継続を表すそうです。ちなみに金栗四三は幼少期には虚弱体質だったそうです。
資料館と母屋の間には井戸水を手押しポンプで汲み上げる小屋がありました。ここは金栗四三が冷水浴をしていたところで、大河ドラマ「いだてん」の中でも真冬に冷水浴をするシーンが何度か出ていましたよね。
そしてこの建物が金栗四三の住んでいた家です。金栗四三が養子に入った池辺家は資産家で、当主が亡くなったので四三を池辺家の跡継ぎにするために養子に迎えたそうです。
この日は時間があれば和水町にある金栗四三の生家も訪れたかったんですが、道の駅 きくすい からは直線距離で10km以上も反対方向に走ることになるので断念したんですよね。
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