サクラマチ クマモトを出発したら、車を停めている熊本城二の丸駐車場へと向かいました。
画像はサクラマチ クマモトの前の広場から撮影した熊本城方面です。画像には西出丸の未申櫓(ひつじさるやぐら)が見えていますが、サクラマチ クマモトは熊本城のすぐ目の前にあるんですよね。
坪井川に架かる行幸橋(みゆきばし)を渡って城内へ入ると、お土産屋さんなどがある「城彩苑」へと行けますが、今回はすぐ横にある明治天皇が行幸された時に整備された行幸坂(みゆきざか)を歩きました。
行幸坂を歩き始めるとすぐに石垣や櫓の修復工事の現場が右側に見えてきますが・・・
ここには「飯田丸五階櫓」があった場所で、熊本地震直にテレビ等で奇跡の一本足といわれて、一本の石垣だけで櫓を支えていた姿が報道されていたところです。
行幸坂をさらに登って行くと真新しい建物が見えてきました。ここは天守広場へと続く天守閣南口です。私たちが昨年の夏に修復の終わった大天守に登った時には、二の丸駐車場から続く天守閣北口から行きましたが、北口は今は日祝のみ開放されているようです。
天守閣南口からは未申櫓(ひつじさるやぐら)の前を通って二の丸駐車場へ戻りました。ここからは一足早く修復工事が終わった大小の天守と、いちばん左側には宇土櫓が見えますが・・・
熊本城築城当時の姿を残す唯一の建物の宇土櫓は、数日前にもテレビで報道されていましたが、その修復保存方法については地震対策を優先するのか、当時の姿を残すことを優先するのかで賛否が分かれていて、工事が始まっても修復完了までに10年ほどかかると言われています。
大小の天守と宇土櫓の北側には飯田丸五階櫓と同じように一本足の石垣で櫓を支えていた「戌亥櫓(いぬいやぐら)」がありますが、今回訪れてみると櫓は無くなっていました。他の場所へ移設して修復工事を行っているんでしょうか?
この画像は熊本地震後に一本足の石垣で櫓を支えていた時の画像です。この姿のままで戌亥櫓は数年間も倒壊せずに頑張っていましたが、ようやく本格的な修復工事が始まったようですね。
ここにはこの様な工事看板も立てられていました。3月17日には解体保存工事が終わるようですが、後一ヵ月ほどで完全に修復が終わるとは思えないので、あくまでも戌亥櫓の解体工事だけなのかもしれませんね。
ここには在りし日の「戌亥櫓」の写真パネルもありました。早くこの姿を見たいものですね。でも熊本城全体の修復工事が完了するのは2037年ともいわれているので、修復完了まではまだまだ遠い道のりですね。
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行幸坂を歩き始めるとすぐに石垣や櫓の修復工事の現場が右側に見えてきますが・・・
ここには「飯田丸五階櫓」があった場所で、熊本地震直にテレビ等で奇跡の一本足といわれて、一本の石垣だけで櫓を支えていた姿が報道されていたところです。
行幸坂をさらに登って行くと真新しい建物が見えてきました。ここは天守広場へと続く天守閣南口です。私たちが昨年の夏に修復の終わった大天守に登った時には、二の丸駐車場から続く天守閣北口から行きましたが、北口は今は日祝のみ開放されているようです。
天守閣南口からは未申櫓(ひつじさるやぐら)の前を通って二の丸駐車場へ戻りました。ここからは一足早く修復工事が終わった大小の天守と、いちばん左側には宇土櫓が見えますが・・・
熊本城築城当時の姿を残す唯一の建物の宇土櫓は、数日前にもテレビで報道されていましたが、その修復保存方法については地震対策を優先するのか、当時の姿を残すことを優先するのかで賛否が分かれていて、工事が始まっても修復完了までに10年ほどかかると言われています。
大小の天守と宇土櫓の北側には飯田丸五階櫓と同じように一本足の石垣で櫓を支えていた「戌亥櫓(いぬいやぐら)」がありますが、今回訪れてみると櫓は無くなっていました。他の場所へ移設して修復工事を行っているんでしょうか?
この画像は熊本地震後に一本足の石垣で櫓を支えていた時の画像です。この姿のままで戌亥櫓は数年間も倒壊せずに頑張っていましたが、ようやく本格的な修復工事が始まったようですね。
ここにはこの様な工事看板も立てられていました。3月17日には解体保存工事が終わるようですが、後一ヵ月ほどで完全に修復が終わるとは思えないので、あくまでも戌亥櫓の解体工事だけなのかもしれませんね。
ここには在りし日の「戌亥櫓」の写真パネルもありました。早くこの姿を見たいものですね。でも熊本城全体の修復工事が完了するのは2037年ともいわれているので、修復完了まではまだまだ遠い道のりですね。
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