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熊本地震で通行止めになっていた国道57号線が、4年半ぶりに復旧工事が終わって開通したので、さっそく車で走ってみました。
 

お家を出発したら国道57号線を走り、阿蘇盆地へ入って赤水交差点までやって来ましたが、外輪山の稜線を走るミルクロードへと続く道には一台の車も走っていませんでした。国道57号線が復旧するまではここが代替道路だったので、いつも渋滞が起きるほど混んでいたんですよね。




赤水交差点を直進して南阿蘇村に入り、阿蘇長陽大橋へと続く交差点も過ぎてさらに先へと進みます。この辺りは道路の左側には立野峡谷(黒川)の深い渓谷が、そして右にはJR豊肥本線の線路が走っていますが、この辺りは熊本地震で山の斜面が崩落して4年半も通行止めが続いていたところです。




4年半ぶりに開通した真新しい道をしばらく走っていると、左側に広い駐車帯が見えてきたのでここに車を停めました。
 
 
 

ここは熊本地震が発生するまでは阿蘇大橋が架かっていたところですが、今は広い駐車帯に石碑と説明板が立てられていました。




熊本地震以前にはここからは阿蘇大橋を渡って高森町方面へと行けましたが、熊本地震で山の斜面が大崩落を起こして、JR豊肥本線と国道57号線が寸断され、今は後世に語り継ぐ震災遺構として 「 数鹿流崩れ(すがるくずれ) 」 と命名されていました。




数鹿流崩れの石碑と大崩落を起こした山の斜面です。このすぐ上流にあった 「 数鹿流ヶ滝 」 へは行けないようでしたが、今はどうなっているんでしょうね?




ここにはこの様な横断幕も掲げられていました。国道57号線は大分県と熊本県を結ぶ九州を横断する大動脈でしたが、熊本地震以降は4年半もの間通行止めになっていて、今年の10月にようやく復旧工事が終わって開通したばかりなんですよね。




駐車帯には阿蘇大橋が架かっていた立野峡谷に向かっても説明板がありました。数鹿流崩れの大崩落では阿蘇大橋も橋脚を残して崩れ落ち、今は南阿蘇村震災遺構 「 阿蘇大橋(残った橋桁等) 」 として、対岸の峡谷中腹に引っ掛かった橋桁の一部がここから見れるようになっています。




これが熊本地震で崩落した阿蘇大橋の橋桁の一部で、立野峡谷(黒川)の谷底まで落ちずに斜面に残っている部分です。この場所へは今年の8月に訪れているので 過去の記事 をクリックして下さいね。




しばらく震災遺構の見物をしていたら、熊本方面から九州横断特急(アラウンド ザ 九州)が大分方面へ向かって通り過ぎて行きました。復旧したJR豊肥本線は震災前と同じように、国道57号線と並行して走っていますが、JR豊肥本線は国道57号線よりも一足早く8月には復旧して運転を再開しました。これで大分と熊本を結ぶ鉄道、国道の大動脈は全て復旧したことになります。
 
 
 
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