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児湯郡新富町の富田灯台が建つ観音山公園を出発したら、国道10号をさらに南下して宮崎市へ入りました。


宮崎市内へ入ってしばらくするとこの様な標識が見えてきました。ここをさらに先へ進むと宮崎を代表する観光名所の青島や日南海岸などへも行けますが、今回はこの先を右折して「平和台公園」へと向かいました。




国道10号から分かれて2㎞も走ると平和台公園に到着して、第一駐車場に車を停めました。駐車場の一角には公園の案内図がありました。画像ではちょっと分かり辛いですが、ここは展望所や池などがある宮崎市街地に隣接するとても広い都市公園なんですよね。




第一駐車場にはこの様な案内板も立っていて、これから向かうのは平和台公園の中心部にある「平和の塔」です。




平和の塔が建っているのは第一駐車場に隣接する広場なので、車から降りて数十歩も歩くと巨大な塔が広場の奥に見えてきます。




これが平和の塔です。この塔は1940年に建てられたもので高さが36.4mあるそうです。そして塔の前の地面には白いものが見えていますが・・・




ここには踏石があって、この上に立って手をたたくと塔に反響して「ビーン」と音がすると書かれていました。実際にこの踏石の上から塔に向かって拍手を打ってみましたが、確かに塔に反響して音が聞こえました。




塔の正面へ行ってみると「八紘一宇(はっこういちう)」の文字が刻まれていました。八紘一宇とは全世界をひとつの家にして人種、民族、宗教に関係なく平和に暮らすという意味があって、この塔の正式な名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」というそうですが、この言葉は軍国主義の象徴とみなされて戦後しばらくの間は削り取られていたそうです。










塔の四方には信楽焼の四神像が配置されていて、画像の上から武人の荒御魂(あらみたま)、漁人の奇御魂(くしみたま)、農耕人の幸御魂(さちみたま)、商工人の和御魂(にぎみたま)ですが、荒御魂像も八紘一宇の文字と同じように取り壊されたそうです。




塔の裏側へ廻ってみると扉があって、ここからは塔の2階部分へ上がれるようになっていますが・・・




扉にはこの様な貼り紙があって、この時はまだ9時前だったので残念ながら展望所へ上がることはできませんでした。




平和の塔(八紘之基柱)の見物をしたら、すぐ横にあるはにわ館、はにわ園へと行きました。




はにわ園は樹木がうっそうと繁った林の中に遊歩道があって、全国に見られる400基あまりの埴輪のレプリカが展示されていて、遊歩道を散策しながら埴輪の見物ができます。そして奥のほうには古墳から出土した様々な埴輪や土器などを展示するはにわ館が見えています。




はにわ館の前へも行ってみましたが、建物全体に立入禁止のロープが巡らされていて、すでに閉館となっているようでした。




はにわ館の反対側の入口へ行ってみると、縄文式土器を模したような聖火台がありました。ここは1964年に開催された東京オリンピックの時に聖火リレーの出発点のひとつになったところで、この聖火台はその時に実際に使われたものだそうです。




はにわ園に展示されている埴輪は400体以上もあるので、さすがに全てを見て廻ることはできませんでしたが、この画像に写っている片手を上げた埴輪は「踊る埴輪(埴輪 踊る人々)」といわれる埼玉県で出土した有名な埴輪ですが、たくさんの古墳がある九州からは同じような埴輪は出土していないんですよね。



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