北川ダムの見物をしたら来た道を通って帰途につきます。
三重町の街中を抜けて道の駅 みえ を通り過ぎると大野川を渡りますが、橋を渡ったところには 「 国指定史跡 犬飼石仏 」 があるので、ここを左折して川沿いの道を川上に向かって進みます。この看板は大分市側から橋を渡る手前で見たものです。
左折して200mも進むと道は二手に分かれて、右の道を登ってJR豊肥本線の踏切を渡ると数百mほどで犬飼石仏に到着しますが、この道はあまり広くないので左の道を先へと進みます。
先へ行くとすぐに駐車場がるのでここに車を停めました。ここにはトイレとその横に大野川の河原へ船などを降ろすスロープがあるので、この時はカヌーの組み立てをしている人がいました。
駐車場に車を停めたら、さっそく犬飼石仏へと向かいます。石仏まではこの様な狭い道が数百mほど続いていますが、周囲には民家が何軒もあるので、この時も2台の車が通り過ぎて行きました。
十数分ほど歩くと犬飼石仏休憩所と書かれた屋根付きの休憩所がありました。休憩所の前は舗装された広場のようになっていたので、車で登って来たらここへ駐車できるようですね。
休憩所のすぐ先には犬飼石仏の大きな看板があって、右側の石段を登ると犬飼石仏ですが、石段の横の車道を進んでも犬飼石仏へと行けるので、足腰の弱い人は滑りやすい急な石段よりもこちらの道が楽かもしれませんね。
ここが国指定史跡の犬飼石仏です。岩窟に建てられた建屋(覆い屋?)の中に犬飼石仏があります。そして岩壁には「 南無大師遍照金剛 」と大きな文字が刻まれていて、その下には大師堂がありました。ちなみに遍照金剛とは真言宗の開祖の空海のことだそうです。
覆い屋の中には中央に高さ3.8mの不動明王座像が刻まれ、左右にはコンガラ童子、セイタカ童子が刻まれていました。この磨崖仏の製作年代は定かではないそうですが、平安時代後期から鎌倉時代の作では?といわれています。
不動明王のお顔には僅かに色彩らしきものが残っていますが、怖い顔のイメージがある不動明王にしてはとても穏やかで柔和な顔をしていますね。
磨崖仏の下半分を見ると、磨崖仏にしては珍しく胡坐を組んで座った足の裏が見えています。でも実際には胡坐を組んだ状態で、足の裏が見えるような体勢をとるのはかなり無理があるんですよね(笑)
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駐車場に車を停めたら、さっそく犬飼石仏へと向かいます。石仏まではこの様な狭い道が数百mほど続いていますが、周囲には民家が何軒もあるので、この時も2台の車が通り過ぎて行きました。
十数分ほど歩くと犬飼石仏休憩所と書かれた屋根付きの休憩所がありました。休憩所の前は舗装された広場のようになっていたので、車で登って来たらここへ駐車できるようですね。
休憩所のすぐ先には犬飼石仏の大きな看板があって、右側の石段を登ると犬飼石仏ですが、石段の横の車道を進んでも犬飼石仏へと行けるので、足腰の弱い人は滑りやすい急な石段よりもこちらの道が楽かもしれませんね。
ここが国指定史跡の犬飼石仏です。岩窟に建てられた建屋(覆い屋?)の中に犬飼石仏があります。そして岩壁には「 南無大師遍照金剛 」と大きな文字が刻まれていて、その下には大師堂がありました。ちなみに遍照金剛とは真言宗の開祖の空海のことだそうです。
覆い屋の中には中央に高さ3.8mの不動明王座像が刻まれ、左右にはコンガラ童子、セイタカ童子が刻まれていました。この磨崖仏の製作年代は定かではないそうですが、平安時代後期から鎌倉時代の作では?といわれています。
不動明王のお顔には僅かに色彩らしきものが残っていますが、怖い顔のイメージがある不動明王にしてはとても穏やかで柔和な顔をしていますね。
磨崖仏の下半分を見ると、磨崖仏にしては珍しく胡坐を組んで座った足の裏が見えています。でも実際には胡坐を組んだ状態で、足の裏が見えるような体勢をとるのはかなり無理があるんですよね(笑)
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