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今回は画像が多いので日出城址の記事を2回に分けて紹介します。
 

大手門跡を過ぎて次に寄ったのは移転、修復された隅櫓(鬼門櫓)です。ここは内部を無料で見学できて撮影も可能なんですが、この時はすぐ横にある歴史資料館のおじさん?が内部を詳しく説明をしてくれたので、話を聞くのに夢中になって内部を撮影する余裕がなかったんですよね(笑)
 
 
 

隅櫓は明治時代になって城内に学校が造られる時に天守閣などとともに競売にかけられたそうですが、当時の日出藩の上級武士だった人が買い取って自宅の敷地に移設したので現在まで残ることができたそうです。この画像は移設される前の隅櫓の姿です。
 
 
 

隅櫓の説明板です。これによると隅櫓は鬼門櫓ともいわれて、日出城の築城と同時期に築かれたとっても古い建物だそうです。そして災いを招く東北の方位(鬼門)の隅を欠いた櫓は全国でも珍しいとも書かれていました。




隅櫓の内部を見学したら、白壁の土塀が続く道を先へと進みます。余談ですが元アイドル歌手の麻丘めぐさんの先祖は日出藩の家老職だったので、お父さんの実家がこの近くの二の丸辺りにあったそうです。




ここは15代藩主の木下俊程の時に造られた藩校の 『致道館(ちどうかん)』 です。元々は二の丸地区にあったものをここへ移設したそうですが、大分県下では唯一現存する藩校の建物だそうです。ここは内部の見学もできました。




致道館の見学を済ませたら坂を下って海岸へと向かいます。




海岸沿いの遊歩道へ出ると、別府湾に面した城郭の一角には 『人柱祠』 と刻まれた祠がありました。




人柱祠の説明板です。これによると遊歩道の工事中に老武士らしき人骨やカブトなどが発掘されたそうです。人柱って伝承だけのことが多いですが、ここでは本当に人骨が見つかっているんですね。
 
 
 

別府湾に面して築城された日出城址には海岸沿いと一段高くなった位置の二か所に遊歩道がありますが、これから上の遊歩道を歩いて先へと進みます。
 



遊歩道を歩いて行くと 『軍艦 海鷹(かいよう)之碑』 と刻まれた石碑が見えてきます。海鷹は貨客船の 『あるぜんちな丸』 を空母に改造した船ですが、空襲で被害を受けてこのすぐ沖で座礁したそうです。ここにも先の大戦の傷跡が残っているんですね。
 
  
  

遊歩道を先へ進むとこんなに立派な石垣が見えてきます。日出藩の初代藩主の木下延俊は有力大名だった細川忠興と姻戚関係にあったので、細川氏の支援を受けて日出城を築城したので、わずか3万石の小大名ですがこんな立派な石垣をもつお城を築城できたんですね。



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