奇岩「金毘羅岩」を出発したら、国道213号をさらに北上します。
国道213号を走っていると「①」と番号が書かれたトンネルが見えてきますが、ここから豊後高田市まではトンネルがたくさんあって、番号は最終的には「⑯」まであるんですよね。
6番目の松尾トンネルを抜けて国見町内を走っていると、「ペトロ カスイ 岐部神父記念公園」と書かれた看板と、公園内に建っている小さな教会が見えてきました。
公園の入口には腕を下げて両手を開いている優しい顔をしたマリア像がありました。このマリア像は画像ではちょっと分かりませんが、足の下ではヘビを踏みつけている「無原罪のマリア」と呼ばれるマリア像ですが、多くの寺社がある国東半島にマリア像ってちょっと不思議な光景ですね。
公園を通り過ぎるとすぐに「国見ふるさと展示館」と書かれた看板が立っているので、左折して奥へと続く狭い道へ入ると、10台ほどの車が停められる駐車場や、古民家のような建物などがありました。
左折した狭い道には史料館やお食事処などと書かれた看板があって、幟にはランチとも書かれていました。
今回も私一人だけでのお出かけだったので、お食事処へは寄らずに「ペトロ カスイ 岐部神父記念公園」へと直接向かいました。公園の入口には「世界を歩いた最初の日本人」と書かれたペトロ岐部についての説明板がありました。
ここが「ペトロ カスイ 岐部神父記念公園」です。一見すると細長い芝生広場があるだけのように見えますが・・・
反対側から撮影すると、山の斜面側には3体の銅像があって、山の上には十字架も建っていました。
そして「世界を歩いた最初の日本人」と言われるペトロ岐部が、実際に歩んだ経路がタイル張りのような世界地図に描かれていました。ペトロ岐部は1614年に江戸幕府によってマカオへ追放されて、その後ローマへ渡って司祭となり、再び帰国の途について日本に再上陸したのは追放されてから16年後だそうです。この時に最初に上陸した地は鹿児島県の坊津ですが、ここは仏僧の鑑真が日本に初上陸した地でもあるんですよね。
3体の銅像は手前がペトロカスイ岐部神父の立像で、奥の2体の銅像は座っているのが江戸幕府の大目付でキリシタン禁教政策の中心人物だった「井上筑後の守 政重」で、立像は仙台で捕縛されて荒縄で縛られて江戸へ送られるペトロカスイ岐部神父です。
公園の奥には小さな教会もありました。国東半島は何度も訪れていて、寺社巡りをしたこともありますが、教会はここ以外では見たことがないし、隠れキリシタンの話も聞いた事がありませんが、この辺りの集落にはキリスト教の信者が昔からいるんでしょうか?
教会の入口は施錠されていて中へは入れませんでしたが、入口の扉のガラスは覗き窓のようになっていて、内部が見えるようになっていました。
覗き窓から撮影した教会の内部です。国東半島は前記事でも書きましたが「仏の里・くにさき」と呼ばれるほど仏教が盛んで寺社の多いところですが、ペトロ岐部の両親はキリシタン大名だった大友宗麟の重臣の岐部氏と波多氏の家系だそうで、ともにキリスト教徒だったので、両親の影響を受けて司祭となったんでしょうね。
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国道213号を走っていると「①」と番号が書かれたトンネルが見えてきますが、ここから豊後高田市まではトンネルがたくさんあって、番号は最終的には「⑯」まであるんですよね。
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公園の入口には腕を下げて両手を開いている優しい顔をしたマリア像がありました。このマリア像は画像ではちょっと分かりませんが、足の下ではヘビを踏みつけている「無原罪のマリア」と呼ばれるマリア像ですが、多くの寺社がある国東半島にマリア像ってちょっと不思議な光景ですね。
公園を通り過ぎるとすぐに「国見ふるさと展示館」と書かれた看板が立っているので、左折して奥へと続く狭い道へ入ると、10台ほどの車が停められる駐車場や、古民家のような建物などがありました。
左折した狭い道には史料館やお食事処などと書かれた看板があって、幟にはランチとも書かれていました。
今回も私一人だけでのお出かけだったので、お食事処へは寄らずに「ペトロ カスイ 岐部神父記念公園」へと直接向かいました。公園の入口には「世界を歩いた最初の日本人」と書かれたペトロ岐部についての説明板がありました。
ここが「ペトロ カスイ 岐部神父記念公園」です。一見すると細長い芝生広場があるだけのように見えますが・・・
反対側から撮影すると、山の斜面側には3体の銅像があって、山の上には十字架も建っていました。
そして「世界を歩いた最初の日本人」と言われるペトロ岐部が、実際に歩んだ経路がタイル張りのような世界地図に描かれていました。ペトロ岐部は1614年に江戸幕府によってマカオへ追放されて、その後ローマへ渡って司祭となり、再び帰国の途について日本に再上陸したのは追放されてから16年後だそうです。この時に最初に上陸した地は鹿児島県の坊津ですが、ここは仏僧の鑑真が日本に初上陸した地でもあるんですよね。
3体の銅像は手前がペトロカスイ岐部神父の立像で、奥の2体の銅像は座っているのが江戸幕府の大目付でキリシタン禁教政策の中心人物だった「井上筑後の守 政重」で、立像は仙台で捕縛されて荒縄で縛られて江戸へ送られるペトロカスイ岐部神父です。
公園の奥には小さな教会もありました。国東半島は何度も訪れていて、寺社巡りをしたこともありますが、教会はここ以外では見たことがないし、隠れキリシタンの話も聞いた事がありませんが、この辺りの集落にはキリスト教の信者が昔からいるんでしょうか?
教会の入口は施錠されていて中へは入れませんでしたが、入口の扉のガラスは覗き窓のようになっていて、内部が見えるようになっていました。
覗き窓から撮影した教会の内部です。国東半島は前記事でも書きましたが「仏の里・くにさき」と呼ばれるほど仏教が盛んで寺社の多いところですが、ペトロ岐部の両親はキリシタン大名だった大友宗麟の重臣の岐部氏と波多氏の家系だそうで、ともにキリスト教徒だったので、両親の影響を受けて司祭となったんでしょうね。
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