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有村溶岩展望所を出発したら国道224号(溶岩道路)を戻って、桜島口まで戻ったらそのまま直進して国道220号を進みました。


桜島口を過ぎるとすぐに白いアーチ橋の「牛根大橋」が見えてきて、この橋を渡れば大隅半島ですが、次の目的地は標識に書かれている「黒神」にあるので、牛根大橋の手前を左折して桜島の東岸へと向かいました。




国道220号から左折して数kmも走ると「黒神中学校」と書かれた看板が見えてきました。ここがこの日2番目の目的地です。




中学校の道路を挟んだ反対側には「黒神埋没鳥居」と書かれた看板と駐車場があったのでここに車を停めました。




駐車場の奥から眺めた景色です。駐車場にはバスの待合所のような扉の無い建物がありますが、これは桜島が噴火した時に避難する退避壕です。桜島ではこの様な退避壕が至る所にあるんですよね。そして画像の左側に見える白い建物は黒神中学校で、その横の樹木が繁っているところが目的地の「黒神埋没鳥居」です。




駐車場に車を停めたらさっそく道路を渡って「黒神埋没鳥居」へと向かいました。




道路を渡ったところにある大きな樹木の下には狭い道(参道)が奥へと続いていて、この様な看板と小さな小屋のような建物がありました。




この小屋には「黒神げんき塾」と看板が掲げられていて、建物内には桜島の噴火で鳥居が埋もれた当時の新聞記事などが壁いっぱいに貼られていました。ミニ史料館といったところでしょうか。




この鳥居が桜島の噴火で埋没した「黒神埋没鳥居」です。ここには「腹五社神社(はらごしゃじんじゃ)」という神社があって、この鳥居が建っているのは腹五社神社の参道ですが、1914年に発生した桜島の大正大噴火による噴石によって2mも埋まったそうです。




さすがにこの鳥居は潜って通れないので、鳥居の横を通って参道を先へ進みました。鳥居の横にあるアコウの大木は無数の根を地中へと広げていましたが、黒神埋没鳥居も管理を怠るとすぐにアコウの気根に取り込まれて姿を消してしまうんでしょうね。




史料館のような建物内には大正大噴火当時の写真もありました。桜島は名前の通り鹿児島湾に浮かぶ島でしたが、大正大噴火による溶岩流によって大隅半島と陸続きになったそうです。




腹五社神社の参道は黒神中学校の横を通って森の中へと続いていたので拝殿まで行ってみました。ここを訪れるのは2度目ですが、拝殿まで行くのは今回が初めてなんですよね。




参道の両側は1.5mほどの壁のようになっていましたが、大正大噴火によって2mの噴石が降り積もったということは、かつての参道もこの2m下にあるってことなんでしょうね?




この建物が腹五社神社の社殿です。この社殿は大正大噴火によって埋没した社殿の上に建てられているそうですが、コンクリート造りの頑丈な建物で退避壕のような感じですね。




拝殿の横には掘り下げられたような道が森の中へと続いていました。




そして地面を見ると普通の土じゃなくて、軽石のようなものが厚く積み重なっていました。これが大正大噴火で降り積もった噴石なんでしょうか?



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