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前記事で臼杵市の沿岸にある鯨の墓(供養塔)を二つ載せましたが、この辺りには鯨の墓が4基もあって、画像が多くなり過ぎるので記事を二つに分けました。


中津浦漁港で鯨の墓を見物したら来た道を戻りました。この辺りにはいくつかの漁村があって、道路はほぼ整備されていますが、所々にはこの様な漁村の中の狭い道を走るところもあります。




中津浦漁港から1kmほど戻って大浜漁港を過ぎると、道はT字路になって、ここを右折すれば来た道を戻って海洋科学高校へ、左折すると海岸沿いの狭い道が臼杵市街地方面へと続いていますが、左折した最初のカーブの海側の岩場には樹木が繁っていてここに鯨の墓があります。




ここは道路が狭いので、すぐ手前の大浜漁港に車を停めて歩いて行きましたが、樹木の繁ったカーブのところまで行ってみると小さな鳥居がひとつだけポツンと建っていて、その沖のほうには津久見島が見えました。




鳥居の扁額を見ると「鯨塚」と書かれていました。でも鳥居は波打ち際ギリギリのところに建っていて、鳥居の下にある消波ブロックの先は海が広がっているので、鳥居を潜って先へは行けませんでした。




鳥居の周辺を見廻してみると、海に突き出した岩場の上に「鯨之墓」と刻まれた供養塔などの石塔が樹木に隠れるようにありました。ここがこの日3つ目の鯨の墓(供養塔)です。帰ってから調べたらここは臼杵市大浜字破磯というところでした。




このすぐ近くにはもうひとつ鯨の供養塔があるらしいので、この道を臼杵市街地方面へ歩いて行ってみました。この道路は道幅が狭くて対向車がやって来ても、すれ違い場所がほとんど無いですからね。




400mほど歩くと道路の海側にお墓のようなものがポツンと見えてきました。遠くに見えている白い建物などが建っている辺りは臼杵市街地で、ここは臼杵川、熊崎川、末広川が合流した河口部になります。




近くまで行ってみると「鯨之墓」と刻まれていました。ここは臼杵市大浜字松ヶ鼻というところで、今回訪れた4番目の鯨の墓(供養塔)です。最初に訪れた尾本漁港からここまでは直線距離でわずか5kmほどですが、その間に4つも鯨の墓(供養塔)があるってことは、昔はかなりの数の鯨がここまで入って来てたんですね。




鯨の墓からさらに数十mほど先へ進むと、道路沿いに大小12体ほどのお地蔵様などが並んでいて、休憩用の屋根付きのベンチがある「地蔵公園」というところがあります。




大きな石像は二体あって、ひとつは「子育観世音」と書かれた覆い屋の中に赤ちゃんを抱いた姿の観世音菩薩が鎮座していました。




アップで撮影してみると、ちょっと微笑んでいるような優しいお顔をした観音さまでした。




そしてもうひとつは「大地蔵菩薩」と書かれた覆い屋の中に地蔵菩薩が鎮座していました。地蔵菩薩は子供の守り神として知られているお地蔵さんのことですね。




地蔵菩薩のすぐ横には「貝之供養塔」や「魚之墓」と刻まれた供養塔もありました。今回は鯨の墓だけを見て廻るつもりでしたが、亀の墓などもあってこの辺りは昔から海と共に暮らしてきた地域なので、生活の糧として漁獲した生き物に感謝を込めてこの様な供養塔をいくつも建てたんでしょうね。
臼杵市の沿岸には全部で5つの鯨の墓があるそうで、今回はその内の4つを巡りましたが、残る一ヵ所はここから少し離れた大泊地区にあるので、今回は時間の都合で寄ることができませんでした。



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