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ひとつ別の記事を載せましたが、竹田市へ出かけた時の記事に戻ります。
お昼ご飯に「肉まる弁当」の焼肉弁当を食べたら、国道442号を竹田市街地方向へ進みました。


竹田市街地まで戻ったら竹田湧水群の「河宇田湧水」へ寄りましたが、県道上には駐車待ちの車が並んで道路が渋滞していて、前に停まっている車のナンバープレートを見たら熊本ナンバーでした。コロナ禍のこの時季ですがここまで名水を汲みに来ているんでしょうか?




河宇田湧水の駐車場には入れそうになかったので、名水を汲むのは諦めて県道8号を竹田市街地方面へ進みましたが、大野川に架かる魚住橋を渡る時に上流側を見たら滝が見えたので、車を停めて滝の見物をします。




魚住橋のたもとには駐車スペースがほとんどありませんが、橋を渡る手前には川に沿うように狭い未舗装の道が上流側へと続いていたので、先へ進んでみると数台の車が停められるスペースがありました。




車を停めたところから眺めた魚住の滝と竹田ダムです。駐車スペースの先も広場のようになっていますが、ここは車を停めた場所よりも一段下がっていて、一枚岩のような岩盤だったので周辺の地層と同じように阿蘇山の大噴火で流れ出た阿蘇溶結凝灰岩なんでしょうね。




この岩盤の端っこのほうには危険防止のロープが張られていたので、ギリギリのところまで行って魚住の滝を眺めてみました。魚住の滝はすぐ上流に竹田ダムが出来るまでは「日本の滝百選」や昭和初期の「日本百景」にも選定されるほど風光明媚な滝だったそうです。




この時は豪快な流れが見られた魚住の滝ですが、竹田ダムが1955年に完成して以降は、年に数度のダムの放流時以外は枯滝になっているそうです。今は一年がかりでのダム修復工事を行っているので、来年の2月頃まではこの豪快な流れを見ることができるそうです。




滝の下流部は両岸が柱状節理の岩壁になっていて、川幅も狭く人工的に造られた水路のような感じもします。魚住橋を渡ったところは小さな公園のような広場があって、説明板にはダム完成後は水流がほとんどなくなったので岩盤の崩落が始まっている事や、日本で初めて軍神となった日露戦争の英雄の広瀬中佐の生家がこの近くにあって、子供の頃はここで遊泳していたことなどが書かれていました。




魚住橋を渡ると大野川に沿うように上流へと狭い車道が続いているので、ダムの上流側へも行ってみました。竹田ダムは川幅いっぱいに8門のゲートがある水門って感じでしたが、実際にも竹田ダムは提高が15mに満たないので、厳密にはダムには該当しなくて正式名称は「竹田調整池堰(たけたちょうせいちぜき)」と言うそうです。




ダムのさらに上流側は堆積した土砂が長い期間水面上に出ていたからなのか? 中洲のようなところには雑草も生えていました。
竹田ダムは水力発電用のダム(堰)で治水の目的はありませんが、日本百景に選定されるほど風光明媚な「魚住の滝」の景観を損なってまで造られたことに対してはちょっと考えさせられますね。



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