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福沢諭吉旧居と福沢諭吉記念館の見学をしたら、福沢旧居の周辺に広がる中津城下町の散策をします。


この長い白壁の土塀と石畳の道は、福沢諭吉旧居から真っ直ぐに伸びている通りですが、通り沿いにはこの様に白壁の土塀を持つ大きなお寺がいくつもあります。




ここは「寺町」といいますが、町名の由来についての説明書きもありました。元々ここには3つのお寺があったそうですが、黒田官兵衛の時代になって城下町防衛のために10のお寺を建立したと書かれていました。この長い土塀と狭い通りが防衛の役割をしていたんでしょうね?




江戸時代の面影を残した通りを歩き始めて最初に見えてきたのは、創作料理「美味創匠 朱華(しゅか)」です。当初の計画ではここでランチをいただく予定にしていましたが、予約の電話を入れたら月曜日にも関わらず満席で予約が取れなかったんですよね。




黒田氏以前に開山された「閻魔さんのお寺 円龍寺」など、いくつかのお寺を眺めながら通りを進んで行くと、この様な標識が立っていました。これから向かうのは50m先にある「合元寺(赤壁)」です。




合元寺への標識から歩き始めるとすぐに、周辺の白壁とは全く異なる真っ赤に塗られた長い土塀が見えてきました。




ここが土塀の色から通称を赤壁寺とも呼ばれる「合元寺」です。合元寺は1587年に黒田孝高(官兵衛)が、姫路から中津へ国替えになった時に従ってきたと伝えられる黒田官兵衛ゆかりのお寺です。




門前には合元寺の由緒と、赤く塗られた土塀の由来についての説明書きがありました。これには書かれていませんが、この時に殺害された家臣は40名以上ともいわれ、柱には今でも刀傷が残っているそうです。





右に見えるのが合元寺の赤壁ですが、周囲の白壁と比べてもひと際目立っていますね。そして通りは不規則に曲がっていて、敵兵がこの道を通って攻めてきても、両側の土塀の上から容易に撃退できるでしょうね。



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