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藩主御殿庭園がある三島公園を見物したら、庭園の背後にある小山へと登ります。
 

三島公園はりゅう君がいた頃に何度か訪れていますが、藩主御殿庭園の背後にある小山には今まで一度も登ったことが無いので今回が初めてになります。山頂に何があるのかとっても楽しみですね。
 

 

三島公園の広場からは左右両方に小山への登り口があるようでしたが、これから向かうのは右側の山頂へと一直線に伸びたような石畳の道です。森藩にはお城がありませんでしたが、この長くて急坂の石畳の道を見ると山城へと登って行くような雰囲気がしますね。




ここには説明板もあって、この石畳の道は 「御長坂」 と呼ばれていて、山頂には神社や「栖鳳桜」 と呼ばれる森藩の8代藩主が建てた茶屋があります。
 
 
 

この石畳の坂道は下から見ると一直線に見えましたが、杉林に囲まれた辺りまで登って行ったら、その先はジグザグの石積みの道が山頂の神社まで続いていました。この険しい道はどう見てもお城の石垣にしか見えませんよね。 
  
  
   

急坂の石積みの道を登って山頂に着くと、森藩初代藩主の来島康親が建てた末廣神社がありました。初代藩主は中世の瀬戸内海で海賊衆として活動した来島村上水軍の後裔なので、この時までは来島姓を名乗っていましたが、2代藩主からは 久留島姓に改めたそうです。




ここには日本一大きな手水鉢と書かれた説明板があって、巨大な岩石をくり抜いて作られた手水鉢がありました。説明板によると、くり抜かれた巨岩の水を貯める部分は容量が7石(1260リットル)もあるそうです。




末廣神社の拝殿の後ろには本殿がありますが、本殿は鞘堂(さやどう)と呼ばれる、覆い屋のような建物の内部に収められているので直接見ることはできませんでした。この鞘堂造りと呼ばれる神社の建造方式は全国的にも珍しいものだそうです。




末廣神社の手前の斜面には8代藩主の久留島通嘉が改修した茶屋の 「栖鳳桜(せいほうろう)」 があります。この建物は山の斜面に建てられているので、末廣神社側からは直接2階部へと入れるようになっています。




栖鳳桜の庭は飛び石や巨石などを配した見事な日本庭園となっています。




栖鳳桜の庭から下を眺めると、藩主御殿庭園と三島公園の広場が見えました。ここからは森藩の城下町も一望出来たそうで、一説には城を持てなかった藩主が栖鳳桜を天守に見立てて、この建物を建てたともいわれているそうです。




御長坂の反対側の登り口はこの様な石段になっていて、石段を下って行くと丸木御門、清水御門などの山門と、庭園の清水御門前庭がありますが、このお城のような石段も、わずか12500石の小さな藩で、江戸幕府から築城を許可されなかった藩主が、苦心してお城のように造ったんでしょうね?


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