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指宿 白水館を出発したら鹿児島市内へと向かいます。
 

お宿を出発して県道238号線を鹿児島市方面へ数百mも走ると、『 指宿海軍航空基地跡 慰霊碑公園』 の看板が見えてきます。
 
 
 

ここには駐車場が無かったので道路沿いの空き地に車を停めて、石燈籠が並ぶ道を奥へ進むとすぐに小山が見えてきました。
 
 
 

そして小山の斜面にはコンクリートで造られた洞窟のようなものがありました。




中を覗いてみるとこのトンネル?は小山の反対側まで繋がっていました。この様な構造の戦争遺構はこれまでにも見てきましたが、このトンネルのコンクリート面は最近造られたように感じられるほどきれいでした。
 
 
 

小山の上には慰霊碑がありましたが、指宿海軍航空基地は本土最南端の航空基地として、特攻隊の出撃基地にもなっていたそうです。




特攻出撃で亡くなった若いパイロットの像?もありました。指宿航空基地は水上偵察機の基地でしたが、終戦間際には82名の若者がこの基地から水上機に乗って特攻隊として出撃したそうです。




指宿海軍航空基地哀惜の碑と刻まれた祈念碑です。碑の一文には ゛下駄ばき水上機 ゛と刻まれていますが、下駄とは車輪の代わりに機体下部に取り付けられた大きなフロートのことで、これにより海面から離水、着水ができますが、戦闘機に比べたら機動性とスピードがかなり劣ります。終戦間際にはそんな飛行機まで特攻機として出撃させていたんですね。




慰霊碑の横には枕崎市沖の水深400mの海底から引き揚げられた飛行機のプロペラもありました。




慰霊碑がある小山の上から海のほうを眺めたら広い駐車場の向こうに知林ヶ島が見えました。今では縁結びの島として多くの観光客が訪れるこの地にも、75年ほど前にはこんな悲しい歴史があったんですね。




慰霊碑の近くには知林ヶ島を一望できる浜辺があって、ここにも案内板がありました。画像の左側には ゛震洋スロープ跡 ゛と書かれていますが、震洋はベニヤ製の小型モーターボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりをする特攻兵器なんですよね。りゅうママの亡くなった父も海軍飛行予科練修生として鹿児島で震洋の操縦訓練をしていたそうです。
ここを出発したら鹿児島市内へと向かいます。



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