にほんブログ村ランキングに参加しています、ワンクリックにご協力をお願いします。
がまだすドーム周辺のお散歩はさらに続きます。
とっても広いところなのでちょっと海のほうまで行ってみました。
海への途中の広場に自衛隊のヘリコプターと装甲車が展示してました。
東北地方太平洋沖地震での自衛隊の活躍が新聞・テレビでよく報道されてるけど、20年前の島原でも活躍してたんだね、こういう大災害時には偉い人の復興を唱える言葉なんかよりも汗をかく行動力が重要だよね、なんか今の政権と似てるよねってパパが言ってました、こういった普通の人達が僕たちを守ってくれてるんだね。
ヘリコプターと装甲車は、雲仙普賢岳のほうを向いて地元の人達を平成新山の噴火から守るように展示されていました、なんか印象的な光景だよね。
雲仙普賢岳(平成新山)のアップです、天気が良くなかったのできれいに撮れてないけど山頂付近に見えるのは雲かな?それとも噴煙かな?
がまだすドーム周辺でのお散歩が終わったら、つぎは 『道の駅・みずなし本陣ふかえ』 へと向かいます。
道の駅・みずなし本陣ふかえ の敷地内には土石流被災家屋保存公園が併設されています。
さあ、これから見学だよ、ここからは埋没家屋の画像をじっくり見てね。
公園内の家屋は平成4年の土石流の被害にあって埋没したものをそのまま保存してるそうです。
この時の土石流で平均2.8m埋没したそうです。
この建物も1階部分はほとんど土石流で埋まっています。
ここに住んでた人達は避難して無事だったのかな?気になるよね。
次は大型テント内に保存されている埋没家屋を見学です。
ここは保存状態がとてもよいので、土石流発生当時の様子がよく分かります。
雲仙普賢岳の噴火が平成2年、大火砕流で多数の死傷者が出たのが平成3年、大規模な土石流の発生が平成4年ですから、もう20年も前の出来事になるんですねえ、当時の報道が鮮明に思い出されます、今の若い人達はほとんど知らないだろうけど、絶対に忘れちゃいけない後世に残すべき出来事だよね。
大型テントの中にあるこれらの家屋はずっと残るだろうけど、屋外にある家屋は年月と共に朽ち果てていくんだろうね、何か対策をしなくていいのかな?
奥の白い建物は土石流の跡地に建てられた道の駅の建物です、手前の白い建物は土石流により一階部分が埋まった建物です、対照的な光景だよね。
水無川です、当時のテレビ報道で土石流が数十トンもあるような巨石を押し流しながら、途中にある橋を巻き込んで濁流となって流れていく映像が毎日のように放送されてたってパパが言っていました。
水無川の土手です、このすぐ下に道の駅と埋没家屋があります、水無川を流れた土石流でこれらの家屋が埋まったんだろうね、今ではすっかり復興して当時の被害の状況はこれらの保存家屋や展示物にしか見る事ができないから、東北地方太平洋沖地震も早く復興して昔話として話せるようになるといいね。
道の駅・みずなし本陣ふかえ を出発して国道57号線を山越えして小浜温泉へと向かいました、途中で平成新山を間近に見る事ができる仁田峠へ寄る予定でしたが、雲仙仁田峠循環路が路肩決壊で通行止めになっていました、最近九州地方は大雨が続いたからかな?こんなことなら島原城や、がまだすドームを見学すればよかったってパパが言っていました、でも時間はもう17時前だから急いで今日のお宿に行かないとね。
わんクリックにご協力をお願いします。
ブログ更新の励みになるからよろしくね。
にほんブログ村
がまだすドーム周辺のお散歩はさらに続きます。
とっても広いところなのでちょっと海のほうまで行ってみました。
海への途中の広場に自衛隊のヘリコプターと装甲車が展示してました。
東北地方太平洋沖地震での自衛隊の活躍が新聞・テレビでよく報道されてるけど、20年前の島原でも活躍してたんだね、こういう大災害時には偉い人の復興を唱える言葉なんかよりも汗をかく行動力が重要だよね、なんか今の政権と似てるよねってパパが言ってました、こういった普通の人達が僕たちを守ってくれてるんだね。
ヘリコプターと装甲車は、雲仙普賢岳のほうを向いて地元の人達を平成新山の噴火から守るように展示されていました、なんか印象的な光景だよね。
雲仙普賢岳(平成新山)のアップです、天気が良くなかったのできれいに撮れてないけど山頂付近に見えるのは雲かな?それとも噴煙かな?
がまだすドーム周辺でのお散歩が終わったら、つぎは 『道の駅・みずなし本陣ふかえ』 へと向かいます。
道の駅・みずなし本陣ふかえ の敷地内には土石流被災家屋保存公園が併設されています。
さあ、これから見学だよ、ここからは埋没家屋の画像をじっくり見てね。
公園内の家屋は平成4年の土石流の被害にあって埋没したものをそのまま保存してるそうです。
この時の土石流で平均2.8m埋没したそうです。
この建物も1階部分はほとんど土石流で埋まっています。
ここに住んでた人達は避難して無事だったのかな?気になるよね。
次は大型テント内に保存されている埋没家屋を見学です。
ここは保存状態がとてもよいので、土石流発生当時の様子がよく分かります。
雲仙普賢岳の噴火が平成2年、大火砕流で多数の死傷者が出たのが平成3年、大規模な土石流の発生が平成4年ですから、もう20年も前の出来事になるんですねえ、当時の報道が鮮明に思い出されます、今の若い人達はほとんど知らないだろうけど、絶対に忘れちゃいけない後世に残すべき出来事だよね。
大型テントの中にあるこれらの家屋はずっと残るだろうけど、屋外にある家屋は年月と共に朽ち果てていくんだろうね、何か対策をしなくていいのかな?
奥の白い建物は土石流の跡地に建てられた道の駅の建物です、手前の白い建物は土石流により一階部分が埋まった建物です、対照的な光景だよね。
水無川です、当時のテレビ報道で土石流が数十トンもあるような巨石を押し流しながら、途中にある橋を巻き込んで濁流となって流れていく映像が毎日のように放送されてたってパパが言っていました。
水無川の土手です、このすぐ下に道の駅と埋没家屋があります、水無川を流れた土石流でこれらの家屋が埋まったんだろうね、今ではすっかり復興して当時の被害の状況はこれらの保存家屋や展示物にしか見る事ができないから、東北地方太平洋沖地震も早く復興して昔話として話せるようになるといいね。
道の駅・みずなし本陣ふかえ を出発して国道57号線を山越えして小浜温泉へと向かいました、途中で平成新山を間近に見る事ができる仁田峠へ寄る予定でしたが、雲仙仁田峠循環路が路肩決壊で通行止めになっていました、最近九州地方は大雨が続いたからかな?こんなことなら島原城や、がまだすドームを見学すればよかったってパパが言っていました、でも時間はもう17時前だから急いで今日のお宿に行かないとね。
わんクリックにご協力をお願いします。
ブログ更新の励みになるからよろしくね。
にほんブログ村
PR