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7月末にブログをお休みして一ヶ月以上、久々にブログの更新です、
毎年夏にはお家の屋上から眺めてた大分市の花火も今年はパパがお仕事で残念ながら見れませんでした、それに今年の夏はどこにもお出かけしてないんだよねぇ、この画像はパパが会社から撮影した大分市の花火大会の様子だよ、
去年の花火大会の様子は ここ をクリックしてみてね、
この角度から眺める花火ってなかなか見る事ができない景色だから、こんな風景も変わってていいよね、でも何だか工場が大爆発してるようにも見えるんだけど・・・(笑)
ということで、大分市の花火大会も終わって一ヶ月以上もブログをお休みして毎日クーラーの効いたお部屋でゴロゴロしてたから、そろそろ夏眠から目覚めて活動を開始しないとね(笑)
夏眠から目覚めてノソノソと起きてきたりゅう君です(笑)
ブログ再開後最初のお散歩は、いつも朝夕にお散歩してる大分市平和市民公園の道路を挟んだ隣にある大洲総合運動公園だよ、
ここは平和市民公園からは道路を1本挟んで隣だからとっても近いんだけど、何故かここでお散歩するのは1年ぶりなんだよね、
大洲総合運動公園の案内図です、平和市民公園もとっても広いんだけどここも同じくらいにとっても広いところなんだよ、両方の公園をお散歩したら1~2時間はたっぷりかかるだろうね、
ここは総合運動公園って言うだけあって、たくさんのスポーツ施設があるんだけど後ろには野球場が見えています、
この野球場は正式名称は大洲総合運動公園硬式野球場って言うんだけど、大分県民からは新大分球場の愛称で呼ばれています、でも今は大分県の不動産会社が年間630万円で命名権を取得して別大興産スタジアムって呼ばれているんだよ、どこの地方自治体も財政が苦しいからね、
お散歩をしてると面白い樹木がありました、
野球場を通り過ぎてテニスコートの横を抜け、しばらくお散歩を続けていると2つの石碑が見えてきます、
ひとつの石碑には大分空港跡地と書いてあります、ここはもともと大分空港があったところを公園にしてるから敷地も空港の滑走路の形なんだよ、さっきの公園案内図を見たらよく分かるよ、
石碑の裏面にはこんな文字が刻まれていました、
そして大分空港跡地の石碑の横には神風特別攻撃隊発進之地の文字が刻まれた石碑があります、この地からは終戦後に日本で最後の特攻機が出撃したんだよ、ここへはちょうど1年前の今頃にも来てるから詳細は過去の記事の ここ もクリックしてみてね、
この石碑の裏面にはその時の特攻で亡くなった人達の名前が刻まれています、
大洲総合運動公園と大分市平和市民公園はどちらも大分川の分流の裏川に沿ってあるんだけど、大洲総合運動公園のほうが裏川の下流にあって、この先はもう別府湾だよ、そして裏川を挟んで右が大洲総合運動公園で左側の森の奥は製鉄所だよ、
裏川沿いに上流へと歩いて大洲総合運動公園の南端まで来たら道路が見えます、この道路を渡ったらいつもお散歩をしてる大分市平和市民公園だよ、
ここには 『富士航空機遭難の地』 の石碑があります、大分空港がまだここにあった昭和39年に当時の富士航空902便が着陸に失敗して裏川の土手に墜落して20人が亡くなった場所です、この当時は大分市には大きなビルも少なかったからパパも大分駅の辺りから事故の煙を見たんだって、
今度は裏川沿いを下流に向かってお散歩して別府湾に出るすぐ手前の大分川の河口まで来ました、ここには広い空き地があります、
ここは平成21年まで大分市と国東半島にある現在の大分空港を行き来する大分ホーバーフェリーの基地があったところです、後ろに見えてる斜面からホバークラフトが大分川の河口へと出て別府湾を横断して国東半島にある大分空港へと行ってたんだよ、でもここが閉鎖になって日本ではもう民間航路のホバークラフトは見れないんだって、残念だよね、
今回のお散歩の場所とは違うけれど、お家から1kmほど離れた山の斜面には防空壕があります、これは大分海軍航空隊の整備工場の跡だそうです、当時の大分海軍航空隊って相当に広かったんだね、それに戦争遺跡ってまだいろんなところに残ってるんだね、
9月になってようやく朝晩はいくらか過ごしやすくなってきました、
これからはお出かけに最高の季節となってくるから、あまり遠出は出来そうにないけどボチボチ、細々とでも(笑)ブログの更新をしようかと思っています。


7月末にブログをお休みして一ヶ月以上、久々にブログの更新です、
去年の花火大会の様子は ここ をクリックしてみてね、
9月になってようやく朝晩はいくらか過ごしやすくなってきました、
これからはお出かけに最高の季節となってくるから、あまり遠出は出来そうにないけどボチボチ、細々とでも(笑)ブログの更新をしようかと思っています。
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