今お出かけの最中で 写真の整理もしてないので前の記事を先に載せますね、

この画像は昨日(12月17日)の夕方の厳島神社の大鳥居だよ、でもこの時の記事はもう少し待ってね、
ここから下は別の記事だからね、

今日は朝のお散歩が終わってすぐにお出かけしたから、今はまだ朝ご飯を食べ終えて口の周りをきれいに舐めてる最中なんだよねぇ~

お家を出発して久住方面へ30分も走ると大分市野津原町今市の里の駅・ひぐらし茶屋に到着です、

これからお散歩するのは左側の細い道の先だよ、

ここは以前もブログに載せた事がある熊本と大分を結ぶ江戸時代の参勤交代路の肥後街道・今市宿があったところで当時の石畳が長い距離にわたって残ってるんだよ

今市石畳の説明板です、今市は江戸時代には参勤j交代の宿場町として栄えていて当時の石畳が今でも660mにもわたって残ってるんだね、でもここって大分市のはずれのほうで辺りは山ばかりでこの石畳のある周囲以外にはほとんど人家も無いところだよ、

肥後街道は肥後藩主が熊本城を出発して大分市鶴崎から船に乗るまでの124kmもある九州を横断する参勤交代路なんだね、

こんな看板もありました、勝海舟と坂本竜馬もこの道を通ってるんだね、

そしてこんな標識もありました、石畳の道路標識なんて本当にあるのかなぁ?って思ってお家へ帰ってから調べたら、この標識は ”路面凸凹あり” って警戒標識なんだって、

今日の目的はここにある神社のイチョウの黄金の絨毯なんだけど、その前にまずは石畳をお散歩です、

さっそくお散歩開始です、ここは車も時々通る道だから周囲に気をつけて歩かないとね、

ここには今市宿があった当時の建物跡ごとに看板が立てられていました、ここは代官屋敷跡だよ、でも跡地には今は普通の民家が建っていました、

どんどん歩いていくと石畳は直角に曲がっていました、

この曲がった道の事を信玄曲がりって言うそうです、真っ直ぐな道だと宿場が見通せるからって事でこんな直角に曲がった道にしたんだって、

信玄曲がりはその先ですぐにまた曲がっているからここからでは先がまったく見えません、

信玄曲がりを過ぎたらまた真っ直ぐな石畳がありました、信玄曲がりがあると確かに宿場全体は見通せないよね、でも何で見通せたら悪いんだろうね?

ここにはこんな看板もありました、逃げ込み寺って駆け込み寺と同じで困った人を助けてくれるお寺なのかな?

石畳をひと回りして戻って来ました、石畳はここで途切れていてその先はアスファルトの道路になってるけど昔はもっと遠くまで石畳が続いていたんだろうね?

これから今日の目的のイチョウの黄金の絨毯が見れる神社の境内へ行くよ、

ここは丸山八幡宮って言う神社だよ、加藤清正が参勤交代の長旅の安全祈願のために建てたって伝承もある神社だよ、

りゅう君はさっそく石段を駆け上がりです、でもその先にはまだ長~い石段が続いています、

この石段もりゅう君は難なく駆け上がって行きます、苔むした石段がとってもいい雰囲気だよね、

境内に着きました、以前ここへ来た時にはイチョウの落葉がもっと多くて地面が全く見えない状態だったんだけど、今回はちょっと落葉が少ないような感じです、今回は時季的にちょっと遅かったから葉っぱが風で飛ばされちゃったのかな?

でもここのイチョウはギンナンが生らないのか?あのギンナンの嫌な匂いが全く無くてとっても快適にお散歩が出来るよ、

この時季は紅葉もきれいだけど、イチョウの黄金の絨毯も今の時季ならではのものだからいいよね、

イチョウの黄金の絨毯を見て車へ戻る途中には葉っぱを落とした柿の木に実だけが残っていました、この風景を見るともうすぐ冬なんだなぁ~って感じがするよね、この柿の実がもっと熟れて熟柿になったらとっても甘いんだよねぇ~、

今市石畳を出発して真っ直ぐにお家へ帰るのかと思ったら、パパはいきなり大分光吉ICから高速に乗りました、

いったいどこへ行くのかと思ったら、これから杵築市まで行ってまた牡蠣を買ってからお家へ帰るんだって、でも杵築市の牡蠣の記事は最近載せたばかりだから今回の記事はこれで終わりだよ。
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この画像は昨日(12月17日)の夕方の厳島神社の大鳥居だよ、でもこの時の記事はもう少し待ってね、
ここから下は別の記事だからね、
今日は朝のお散歩が終わってすぐにお出かけしたから、今はまだ朝ご飯を食べ終えて口の周りをきれいに舐めてる最中なんだよねぇ~
お家を出発して久住方面へ30分も走ると大分市野津原町今市の里の駅・ひぐらし茶屋に到着です、
これからお散歩するのは左側の細い道の先だよ、
ここは以前もブログに載せた事がある熊本と大分を結ぶ江戸時代の参勤交代路の肥後街道・今市宿があったところで当時の石畳が長い距離にわたって残ってるんだよ
今市石畳の説明板です、今市は江戸時代には参勤j交代の宿場町として栄えていて当時の石畳が今でも660mにもわたって残ってるんだね、でもここって大分市のはずれのほうで辺りは山ばかりでこの石畳のある周囲以外にはほとんど人家も無いところだよ、
肥後街道は肥後藩主が熊本城を出発して大分市鶴崎から船に乗るまでの124kmもある九州を横断する参勤交代路なんだね、
こんな看板もありました、勝海舟と坂本竜馬もこの道を通ってるんだね、
そしてこんな標識もありました、石畳の道路標識なんて本当にあるのかなぁ?って思ってお家へ帰ってから調べたら、この標識は ”路面凸凹あり” って警戒標識なんだって、
今日の目的はここにある神社のイチョウの黄金の絨毯なんだけど、その前にまずは石畳をお散歩です、
さっそくお散歩開始です、ここは車も時々通る道だから周囲に気をつけて歩かないとね、
ここには今市宿があった当時の建物跡ごとに看板が立てられていました、ここは代官屋敷跡だよ、でも跡地には今は普通の民家が建っていました、
どんどん歩いていくと石畳は直角に曲がっていました、
この曲がった道の事を信玄曲がりって言うそうです、真っ直ぐな道だと宿場が見通せるからって事でこんな直角に曲がった道にしたんだって、
信玄曲がりはその先ですぐにまた曲がっているからここからでは先がまったく見えません、
信玄曲がりを過ぎたらまた真っ直ぐな石畳がありました、信玄曲がりがあると確かに宿場全体は見通せないよね、でも何で見通せたら悪いんだろうね?
ここにはこんな看板もありました、逃げ込み寺って駆け込み寺と同じで困った人を助けてくれるお寺なのかな?
石畳をひと回りして戻って来ました、石畳はここで途切れていてその先はアスファルトの道路になってるけど昔はもっと遠くまで石畳が続いていたんだろうね?
これから今日の目的のイチョウの黄金の絨毯が見れる神社の境内へ行くよ、
ここは丸山八幡宮って言う神社だよ、加藤清正が参勤交代の長旅の安全祈願のために建てたって伝承もある神社だよ、
りゅう君はさっそく石段を駆け上がりです、でもその先にはまだ長~い石段が続いています、
この石段もりゅう君は難なく駆け上がって行きます、苔むした石段がとってもいい雰囲気だよね、
境内に着きました、以前ここへ来た時にはイチョウの落葉がもっと多くて地面が全く見えない状態だったんだけど、今回はちょっと落葉が少ないような感じです、今回は時季的にちょっと遅かったから葉っぱが風で飛ばされちゃったのかな?
でもここのイチョウはギンナンが生らないのか?あのギンナンの嫌な匂いが全く無くてとっても快適にお散歩が出来るよ、
この時季は紅葉もきれいだけど、イチョウの黄金の絨毯も今の時季ならではのものだからいいよね、
イチョウの黄金の絨毯を見て車へ戻る途中には葉っぱを落とした柿の木に実だけが残っていました、この風景を見るともうすぐ冬なんだなぁ~って感じがするよね、この柿の実がもっと熟れて熟柿になったらとっても甘いんだよねぇ~、
今市石畳を出発して真っ直ぐにお家へ帰るのかと思ったら、パパはいきなり大分光吉ICから高速に乗りました、
いったいどこへ行くのかと思ったら、これから杵築市まで行ってまた牡蠣を買ってからお家へ帰るんだって、でも杵築市の牡蠣の記事は最近載せたばかりだから今回の記事はこれで終わりだよ。
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