島原復興アリーナを出発したら国道251号へ出てさらに南へ進みます。
国道251号を1kmほど進むと水無川(みずなしがわ)に架かる橋を渡って南島原市へ入りますが、水無川は雲仙普賢岳の大噴火や火砕流によって積もった火山灰や岩石が、その後の雨によって土石流となって下流域へ流れて多くの家屋を巻き込んだところです。
水無川に架かる橋を渡ると、道の駅と「土石流被災家屋保存公園」の看板が見えてくるのでここを左折します。
左折したところには道の駅の広い駐車場があるのでここに車を停めました。ここには観光案内所や展望所もあります。
駐車場の先には「道の駅 みずなし本陣ふかえ」と、「土石流被災家屋保存公園」がありますが、まずは道の駅へ行こうとしたら・・・
通路にはこの様な案内があって、レストラン・売店は現在閉鎖と書かれていました。
まさかと思いながら道の駅の入口付近を見てみると、扉が固く閉ざされていました。今まで九州各県のたくさんの道の駅を訪れましたが、廃業(閉駅?)した道の駅を見るのは初めてです。ここを初めて訪れたのは十年以上も前ですが、その時は大勢の観光客で賑わっていて、お食事処へも入れないほど盛況だったんですが残念なことですね。
道の駅が廃業していたのは残念でしたが「土石流被災家屋保存公園」へは入れたので、これから被災家屋の見学をします。
まず最初に見学したのは、建屋で覆われた中で保存されている土石流被災家屋です。
建屋の中に入ると土石流によって屋根の付近まで埋没した家屋が保存されていました。この光景を見るとかなり大きな被害があったことが分かりますが、説明板にも書かれていたように、避難勧告によって住民は避難していたので、幸いなことに人的被害は無かったんですよね。
こちらは屋外で保存されている被災家屋です。奥に見えるのは道の駅の建物で、手前の2棟が被災家屋です。
ここは大規模な土石流が発生した水無川の下流部になりますが、土石流の発生前にはたくさんの家屋が立ち並ぶ集落だったんでしょうね。
今回久しぶりにここを訪れてみると、この様に空き地になったところもあって、一部の被災家屋は老朽化?によって撤去されているようでした。永久保存し後世に残すことができなかったのは残念なことですね。
土石流被災家屋の見学をしたら、駐車場の前にある観光案内所の展望所へ上がってみました。ここにはこの様な写真パネルがありました。
この画像は実際に展望所から撮影し画像です。中央に見えるのが噴火した平成新山ですが、右端に見える眉山が盾になって島原市街地方面が守られているのに対して、ここは何の遮蔽物も無いので、大雨が降って堆積した火山灰等が土石流となって一気にここまで流れ下ったんでしょうね。
雲仙普賢岳(平成新山)の山頂付近を望遠で撮影すると、普賢岳の大噴火から30年以上経っても山頂付近の溶岩ドームには草木が全く生えていないように見ました。
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国道251号を1kmほど進むと水無川(みずなしがわ)に架かる橋を渡って南島原市へ入りますが、水無川は雲仙普賢岳の大噴火や火砕流によって積もった火山灰や岩石が、その後の雨によって土石流となって下流域へ流れて多くの家屋を巻き込んだところです。
水無川に架かる橋を渡ると、道の駅と「土石流被災家屋保存公園」の看板が見えてくるのでここを左折します。
左折したところには道の駅の広い駐車場があるのでここに車を停めました。ここには観光案内所や展望所もあります。
駐車場の先には「道の駅 みずなし本陣ふかえ」と、「土石流被災家屋保存公園」がありますが、まずは道の駅へ行こうとしたら・・・
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まさかと思いながら道の駅の入口付近を見てみると、扉が固く閉ざされていました。今まで九州各県のたくさんの道の駅を訪れましたが、廃業(閉駅?)した道の駅を見るのは初めてです。ここを初めて訪れたのは十年以上も前ですが、その時は大勢の観光客で賑わっていて、お食事処へも入れないほど盛況だったんですが残念なことですね。
道の駅が廃業していたのは残念でしたが「土石流被災家屋保存公園」へは入れたので、これから被災家屋の見学をします。
まず最初に見学したのは、建屋で覆われた中で保存されている土石流被災家屋です。
建屋の中に入ると土石流によって屋根の付近まで埋没した家屋が保存されていました。この光景を見るとかなり大きな被害があったことが分かりますが、説明板にも書かれていたように、避難勧告によって住民は避難していたので、幸いなことに人的被害は無かったんですよね。
こちらは屋外で保存されている被災家屋です。奥に見えるのは道の駅の建物で、手前の2棟が被災家屋です。
ここは大規模な土石流が発生した水無川の下流部になりますが、土石流の発生前にはたくさんの家屋が立ち並ぶ集落だったんでしょうね。
今回久しぶりにここを訪れてみると、この様に空き地になったところもあって、一部の被災家屋は老朽化?によって撤去されているようでした。永久保存し後世に残すことができなかったのは残念なことですね。
土石流被災家屋の見学をしたら、駐車場の前にある観光案内所の展望所へ上がってみました。ここにはこの様な写真パネルがありました。
この画像は実際に展望所から撮影し画像です。中央に見えるのが噴火した平成新山ですが、右端に見える眉山が盾になって島原市街地方面が守られているのに対して、ここは何の遮蔽物も無いので、大雨が降って堆積した火山灰等が土石流となって一気にここまで流れ下ったんでしょうね。
雲仙普賢岳(平成新山)の山頂付近を望遠で撮影すると、普賢岳の大噴火から30年以上経っても山頂付近の溶岩ドームには草木が全く生えていないように見ました。
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