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道の駅「萩・さんさん三見(さんみ)」を出発したら、山陰自動車道を走って再び萩市街地へと戻りました。


萩市街地まで戻って次に訪れたのは、長州藩の武士で幕末の思想家・教育家の吉田松陰を祀る「松陰神社」です。この大きな石灯籠の先が境内で、自家用車はここを入った境内の無料駐車場に車を停められます。万が一ここが満車でも100mほど離れたところには60台ほどの普通車が停められる「松陰神社前駐車場」もあります。




ここが境内の無料駐車場です。駐車スペースはいくつかの区画に分かれていて、車を降りると目の前に松陰神社の一の鳥居があって、拝殿まではすぐなのでこれからの暑い季節に参拝するにはありがたいですね。




これが松陰神社の一の鳥居です。境内には松などたくさんの樹木が植えられていて、拝殿までは木陰の参道を歩くことになります。




一の鳥居の手前にはお食事処やお土産屋さんもあって、その前には大きな松の木陰に休憩用のベンチがいくつも置かれていました。




松陰神社の参拝案内図です。参拝順路は二通りあって、一の鳥居を潜って真っすぐに本殿へと進む表参道ルートと、鳥居の先を一旦左へ曲がって学びの道を通り、松門神社を経由して本殿へ向かうルートがありますが、参道はループになっているのでどちらの道を進んでも同じです。




一の鳥居を潜ってまず最初に見えてくるのが、現存する江戸時代に建てられた私塾の「松下村塾(しょうかそんじゅく)」です。




松下村塾といえば吉田松陰の私塾として有名ですが、実際には松陰の叔父が松下村塾という名前で私塾を開いて、その後を継いで松陰が講義を行うようになったそうで、その期間はわずか1年ほどだったそうです。






建物内には松下村塾の門下生の写真がズラリと並べられていました。この中には倒幕運動で有名な久坂玄瑞、高杉晋作や、明治政府で活躍した伊藤博文、山形有朋などの写真もありました。松下村塾は明治維新の多くの英傑を輩出しているんですよね。




松下村塾のすぐ横には吉田松陰が一時期幽閉されていた実家も残っていました。松陰はこの実家の3畳半の狭い部屋に幽閉されていたそうで、その時に家族や親族に行った講義が元となって松下村塾へと繋がっていったそうです。




現存する松下村塾と松陰の幽閉されていた実家の見学をしたら、これから学びの道を歩いて松陰神社の拝殿へと向かいます。




学びの道は拝殿の手前まで続いていて、道の両側には吉田松陰の言葉が書かれた48の句碑がズラリと並んでいました。




たくさんある句碑の中で特に気に入った言葉は「総じて人々得手無得手あり 英雄の上にも無得手あり 愚者の中にも得手あり 其の得手を知ること 人を試むるの要なり」です。これは「だれでも得意、不得意があって英雄でも不得意なものや、愚かと思わる人にも得意なものがあるので、その得意なところを伸ばすのが大事である」という意味です。




古語で表わされた48もの言葉をひとつひとつ読んで、その意味を考えながら学びの道を進んだので、わずか数十mの距離を歩くのに20分ほどかかって、ようやく松陰神社の末社の「松門神社」に到着しました。




松門神社は松陰神社の旧社殿を新社殿の横に移して昭和31年に建立されたそうで、松下村塾の門下生などを御祭神として祀っているので、御祭神の数は53柱にもなるそうです。




松門神社の横に建っているのが松陰神社の拝殿、本殿です。拝殿の前には巨大な絵馬も飾られていました。この絵馬は高さ2.5m、幅は3.6mもあって、地元の中高生が毎年吉田松陰とその門下生を描いているそうで、今年描かれた門下生は木戸孝允でした。



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