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大分空港の展望公園を出発したら国東半島をさらに先へと進みます、


これから国東半島を海岸沿いにぐるりと廻って半島の最先端部まで行きます、
  
  
  

しばらく国道213号線を北へと進むと道路沿いには石仏が見えてきます、平成の大合併まではこの手前までが東国東郡武蔵町でここから先は東国東郡国東町だったんだけど、今では両方の町とも国東市です、
 
 
 

そして道路沿いにはこんなにきれいに咲いた菜の花がありました、こんな景色を見たらいよいよ春本番だね、




でもりゅう君は今回のお出かけからはセカンドシートなので周りの景色があまり見えず退屈なのか?パパが手を後ろに回すとペロペロと舐めています、




しばらくしたら道の駅・くにさき に到着です、でもここではトイレ休憩をしただけでりゅう君のお散歩は無しです、




道の駅の駐車場に車を停めて何気なく横を見たら、軽トラックの荷台には見るからにお年寄りのワンちゃんがおとなしく乗っていました、りゅう君よりもお年寄りみたいだね、
 
 
 

ここでは今にも咲きそうなコブシ?の花がありました、この花が咲き始めたらソメイヨシノの開花ももう間もなくです、
 
 
 

道の駅・くにさきを出発して国東半島をさらに北上すると道路沿いには枯れたヒマワリが見えて来ました、ここへ去年の12月に来た時には満開のヒマワリが咲いていたんだよね、その時の記事は ここ クリックしてみてね、
 
 


さらに先へ進むと国見の看板が見えて来ました、ここは平成の大合併前には東国東郡国見町だったところです、
 
 
 

この辺りから道路は海岸沿いの道と峠越えのトンネルとが交互になってきます、道路の先のほうに見えているのは姫島です、
 
 
 

りゅう君も後ろの席から身を乗り出して前方を見ています、
 
 
 

前方には ”国見ふるさと展示館” の看板が見えて来ました、
 

 

ここへは以前も来た事があるんだけど、今回は3年ぶりくらいかな?
 
 
 

 ここにはこんな説明板がありました、ペトロ岐部カスイは戦国時代から江戸時代にかけての日本人宣教師で苦労の末にエルサレムまで辿り着き司祭に叙階され、その後禁教令が出ていた日本へ死を覚悟で戻って来た事から世界を歩いたキリシタンとも言われている人です、
 
 
 

りゅう君はさっそくお散歩を開始したいところなんけど、ママは反対を向いて上のほうを眺めたまま動こうとしません、
 
 
 

ママが眺めていたのはたくさんの花が咲いていたツバキの大木です、
 
 
 

ここはあまり広くない公園?だけどきれいに整備されていて奥には小さな教会もありました、
 
 
 

この銅像の人がペトロ岐部カスイ神父です、でも銅像の台座にはペトロカスイ岐部って刻まれていました、どっちの読みが正しいんだろうね?




この像はペトロ神父が苦労の末に再び日本に戻って布教活動を行っている時に捕えられた様子を描いたもので、座っているのはキリシタンの取締りを行う奉行の井上筑後守政重です、




公園のすぐ後ろにある丘の斜面には花に囲まれたとっても優しそうな顔のマリア像が祠のような中にありました、




公園の一番奥にある小さな教会までやって来ました、パパは入口まで行って中を覗き込んでいます、




この教会は扉に鍵がかかっていて中には入れないんだけど、ガラスの一部が覗き窓のようになっていて教会の中が見えるようになっていました、
ここでのお散歩が終わったらすぐ近くにある道の駅・くにみ でママたちはお昼ご飯です。





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