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NHKで司馬遼太郎の長編歴史小説「坂の上の雲」のドラマ版が、本木雅弘さん主演で再放送されていて、毎週放送がある日曜日の夜を楽しみにしていますが、先週は旅順港閉塞作戦で広瀬武夫少佐(死亡後中佐に昇進)が戦死するシーンだったので、さっそく広瀬武夫の出身地で、広瀬武夫を祀る「広瀬神社」がある大分県竹田市へと行ってみました。


お家から一時間ほどで竹田市へ到着したら、まずは観光案内所へ寄って「たけた城下町散歩」マップをもらいました。竹田市は昔ながらの城下町で、碁盤の目のように狭い道が縦横に走っているので、マップが無ければどこへ行っていいのかさっぱり分かりませんからね。




観光案内所でマップを貰ったら城下町の中にある「竹田市営ふれあい駐車場」に車を停めました。ここは60分までは無料で、その後一時間ごとに100円加算で、最大でも500円なので観光客にとってはありがたい駐車場なんですよね。




駐車場に車を停めたらさっそく散歩マップを頼りに、広瀬神社を目指して田町通りを南東方面へと進みました。




田町通りを数百mも歩くと、正面に広瀬神社の鳥居と長い石段が見えてきました。横にはトンネルも見えていますが、このトンネルを抜けると岡藩7万石の岡城跡があります。竹田城下町は盆地内にあるので、トンネルが多くて「レンコン町」とも呼ばれているんですよね。




鳥居の横に建てられている石碑には「縣社」と刻まれていますが、これは旧社格と呼ばれるもので、戦前まで使われていた神社の格式のことです。




鳥居の前には広瀬武夫中佐の大きな銅像もありました。銅像の後ろには境内へと続く長くて急な石段があるので、これからこの石段を登って広瀬神社へ参拝をします。




長い石段を登り切った正面には銅像(胸像)と顕彰碑がありました。この人物は阿南惟幾(あなみこれちか)といって、陸軍大臣で終戦の日に割腹自殺をした陸軍大将ですが、父親が竹田市の出身で、本人も幼少期の一時期を竹田市で過ごしたそうです。




そして右を見ると石畳の参道の先には拝殿へと続く楼門があって、その左側には社務所が、右側には広瀬武夫、阿南惟幾に関する資料などを展示した史料館がありました。




史料館の前を通り過ぎたところは展望所のようになっていて、眼下に広がる城下町の町並みや、遠くにはくじゅう連山の山々が望めました。




望遠で撮影した久住の山々です。この日は寒波が去って無風のポカポカ陽気の日でしたが、久住山の山頂付近はまだ雪が残っていました。




竹田城下町の景色などを眺めたら資料館へ行ってみました。




ここは2階が資料館になっていて、1階には広瀬武夫が乗艦していた戦艦朝日のカッター(艦船搭載の救命・連絡艇)とマストの一部が展示されていました。これらは旧海軍から寄贈された貴重なものです。そしてその他にも90式水上偵察機の木製プロペラも展示されていました。




1階の展示物を見物したら2階へと上がりました。入り口にはこの様な看板が掲げられていました。




館内はこの様になっていて中々興味深い資料などもありました。ここには常駐の人はいなくて無料で自由に見学ができました。




資料館の見学をしたら、この立派な楼門を潜って広瀬神社へ参拝です。




ここが広瀬神社の拝殿です。手前には広瀬武夫の胸像も建っていました。




拝殿に向かって右側には人名が刻まれた石柱のようなものと、その横には説明板がありました。




説明板を読むと石柱は戦没者名が刻まれた慰霊塔で、その台座部分に2回目の旅順港閉塞作戦の時に、広瀬武夫が乗船した福井丸に重しとして積まれた石を日露戦争後に引き上げて、その内の8個の石を台座に嵌め込んだと書かれていました。



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