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JA直売所「風の郷市場」を出発したら再び国道10号へ出て、宇佐市方面へと北上しました。


国道10号をしばらく北上していると、田んぼの広がる向こうのほうに「馬上八幡神社」と書かれた神社の社殿のような建物が見えてきたので、この先で国道10号からこの建物へ続く狭い道へと右折しました。




国道10号から右折したところはこんな感じで、狭い道路の両側に廃屋の様な古い建物が建っていました。




ここは江戸時代から昭和初期にかけて「馬上金山」があったところで、最盛期には同じ大分県の鯛生金山と肩を並べるほどの金産出量があったといわれていて、これらの建物は鉱山があった当時からの建物だそうです。




建物をよく見ると扉のガラスには公衆電話と書かれていました。今は周辺にまばらに人家があるだけのところですが、鉱山が操業していた頃には人口も多くて、この公衆電話も金を掘る鉱夫やその家族が使っていたのかも知れませんね?




古い建物の向かい側には「大字下会館」と書かれた公民館のような建物があって、馬上金山写真展示場と貼り紙がありましたが・・・




その下にはこの様な貼り紙があって、連絡をすれば鍵を開けてもらえるようでした。この時はたまたま近くに地元のおばぁちゃんがいて、区長さんに連絡を取ってくれたんですが、区長さんが遠くに出かけていて戻れなかったので、解錠できず写真も見ることができませんでした。




馬上金山のかつての姿を写した写真などを見れなかったのは残念でしたが、区長さんやおばぁちゃんから様々な情報を得たので、狭い道を奥へ進むと、道は二手に分かれて小さな建物がありました。鉱山があったのは正面の低い山の辺りだそうですが、今ではその痕跡もほとんどが緑に覆われて見ることができないんですよね。




小さな建物の壁にはこの様な表示がされていて、横のフェンスで囲われた中には坑廃水の濾過装置もありました。鉱山が閉山になって数十年が経った今でもまだ色々と対策が必要なんですね。




まず最初に向かったのは二手に分かれた道を左へ進んだ先です。区長さんの話では鉱山の遺構はほとんど見ることができないけれど、道路の左側に2本並んだ杉の木の辺りから山を登って行けば、鉱山を経営していた成清博愛(なりきよ ひろえ)という人物の大きな銅像が戦時中まで建っていて、今でもその台座部分が残っているそうです。




区長さんの話では道はかなり荒れているとも言っていましたが、とりあえず獣道の様な荒れた道を100mほど登って行くと、道が全く分からなくなったので、ここから先へ進むのは断念しました。次に訪れる機会があったら登山の装備をして、草刈り鎌持参で挑戦したいですね。




山を下ったら次はもうひとつの道を奥へと進みました。ここには国道からも見えていた「馬上八幡神社」がありました。




馬上八幡神社の拝殿です。拝殿の前には石灯籠を頭の上に乗せた一対の狛犬がいました。何だかとても重たそうに見えますね(笑)






参拝を済ませて拝殿内を覗いてみると、奉納された古い絵馬が修復された状態で掲示されていて、絵馬の枠には馬上金山や成清博愛と書かれていました。余談ですが先ほど訪れた日出城址には城下カレイを提供する「的山荘」という有名な料亭があって、ここは成清博愛の別邸として大正4年に建てられたそうで、「的山」とは鉱山を当てるという意味だそうです。




拝殿内には馬上鉱山出張所と書かれた献灯の木札もありました。
ここは初めて訪れたところですが、地元のおばぁちゃんや区長さんに色々と教えてもらったので、何とかある程度の見学ができました。予備知識なしでは恐らく何も見れなかったと思うので、親切な人に出会えて本当に助かりました。
馬上金山は同じ大分県にある鯛生金山と違って全く観光地化されてないので、ほとんど全ての遺構が緑に覆われて自然に戻っているような状態なので、もう少し整備できないものでしょうか?



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