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三隅ICから山陰自動車道(萩・三隅道路)に乘ったら、終点の萩ICまで走って高速道を降りました。


山陰道を降りたら萩市街地を北へ向かって数kmほど走って松陰神社までやって来ました。




今年の6月にここを訪れた時は松陰神社の境内の駐車場に車を停めましたが、今回は境内へは入らずに、数十mほど離れたところにある無料駐車場に車を停めました。駐車場の向こうに見えている樹木の繁ったところが松陰神社です。




車を停めた社駐車場の横には、萩市と山口市を結ぶ県道11号が走っていて、次の目的地はこの県道を渡ったところにあります。




県道11号を渡ると交差点の角には小さな公園があります。ここが次の目的地で山口県萩市椿東の県道11号と県道67号の交差点沿いにある「郡司鋳造所遺構広場」です。ここは松陰神社からは直線距離でわずか100mほどで、前回は松陰神社の参拝を済ませてから訪れる予定にしていましたが、その時はあまりの暑さだったので、冷房の効いた次の目的地へ行くことで頭がいっぱいで、つい寄り損なったところなんですよね(笑)




広場の一角には郡司鋳造所で造られて、長州藩と英・仏・蘭・米の列強四国との間で起きた下関戦争で使われた「長州砲」と呼ばれる青銅製の大砲のレプリカが展示されていました。




公園内には郡司鋳造所についてのいくつかの説明板もありました。




この写真は歴史の教科書にも出てくる有名な写真で、下関戦争に敗れて列強四国に占領された長州藩の砲台です。この時に使用された大砲が郡司鋳造所で造られた「長州砲」なんですよね。




写真の下にはこの様な説明もありました。




この絵は実際に郡司鋳造所で大砲を造っている様子を表わした想像図ですが、この当時は大量の鉄を一度に溶かす反射炉の技術が無かったので、昔ながらの製法を用いて西洋式の大砲を造ったそうで、造られた大砲は鉄よりも融点が低くて強度の劣る青銅製だったそうです。




この想像図についても説明が書かれていましたが、これを読むと郡司鋳造所での大砲製造については最近まで詳細が分かってなかったんですね。




これが復元された大砲鋳造遺構です。この遺構については全く知識が無くて説明もできないので画像だけを見て下さいね。






郡司鋳造所遺構は萩市内に数多く残る明治維新に関連する観光名所に比べるとほとんど知られていませんが、日本が明治維新によって海外の技術を取り入れて近代国家へと移行する過渡期を物語る遺構で、アクセスもいいところにあるので一度は見ておく価値のある遺構ですね。



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