鷹栖つり橋公園を出発したら、国道387号を走って安心院町の町中へと向かいました。

安心院町の町中へは国道387号をしばらく走って、途中から県道42号へと左折して別府方面へ進みましたが、安心院の町中を流れる新貝川の手前まで来たら、ちょっと狭い道へと右折しました。右折するとすぐに「下市摩崖仏」と「下市百穴」と書かれた案内表示が見えてきました。

ここには年代を感じさせるこの様な石碑もありました。この石碑には「大分県八景之一 宇佐山郷」と、「大分県十二景之一 安心院盆地」と刻まれていました。これらについてはいくら調べても分かりませんでしたが、昔の大分県の景勝地の碑のようでした。

ここには駐車場のような広い空き地があったので、車を停めたらまずは横穴式古墳の「下市百穴」へと向かいました。

下市百穴の入口付近は道もはっきりしていましたが、先に進むと雑草や樹木がうっそうと繁っていて、腰をかがめないと前へ進めないほど木の枝が歩道に覆いかぶさっていました。

頭上に伸びた枝を払いながらようやく横穴式古墳の「下市百穴」へ着きましたが、ここも雑草が繁っていて古墳はほとんど見えませんでした。以前ここを訪れた時には雑草は全く無くて、岩壁にはズラリと横穴式古墳が並んでいるのが見えたんですよね。

下市百穴の説明板です。これを読むとここには横穴古墳が32基あると書かれていましたが、この時見れたのはわずか数基だけでした。

下市百穴はちょっと残念な結果でしたが、駐車場に戻ったら車で少しだけ移動して新貝川の河川敷に車を停めました。画像の左側に幟が立っているところはスッポン養殖場の「安心院すっぽんセンター」で、正面に見える鳥居はその向こうの森の中にある「三女神社」の一の鳥居です。駐車場(空き地?)はこの鳥居を潜った先にあります。

河川敷に車を停めたら、スッポン養殖場横の道を奥にあるこんもりと樹木が繁った森に向かって歩きました。

道は森の手前で行き止まりになっていますが、ここには小さな鳥居が建っていて、その奥には小さなお社もあるようでした。

鳥居の前には「下市摩崖仏」の説明板がありました。これによると鳥居を潜った先の北東壁には7体の摩崖仏が、そして鳥居の左側の下市百穴のある南東壁には4体の摩崖仏があるようでした。

鳥居の前から南東壁を眺めると、壁面は樹木などに覆われていて、摩崖仏は全く見ませんでした。以前ここを訪れた時にはこの狭い通路が下市百穴まで続いていて、摩崖仏も下市百穴もここから見れたんですよね。

これが鳥居を潜った北東壁に彫られている7体の「下市摩崖仏」です。

それぞれの摩崖仏は像の高さが2mほどありそうでした。そして摩崖仏ごとに岩が独立しているような感じに見えましたが、これは自然に割れた岩に摩崖仏を掘ったのか?或いは摩崖仏ごとに岩を分割したのか?どちらなんでしょうね?

これらの摩崖仏は室町時代前半の作ともいわれていますが、長年の風雨に晒されてかなり劣化しているものもありました。

摩崖仏の彫られている岩壁の前には大きな木も茂っていて、幹の向こう側にも摩崖仏があるような感じでしたが、岩壁にピッタリとくっつくように幹が成長していたの、全く見ることができませんでした。
摩崖仏のすぐ横には小さなお社があって参拝する人もいるようで、ある程度清掃もされていましたが、南東壁は全く手入れされてなくて、樹木や雑草に覆われて見物もできなかったのがちょっと残念でした。
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安心院町の町中へは国道387号をしばらく走って、途中から県道42号へと左折して別府方面へ進みましたが、安心院の町中を流れる新貝川の手前まで来たら、ちょっと狭い道へと右折しました。右折するとすぐに「下市摩崖仏」と「下市百穴」と書かれた案内表示が見えてきました。
ここには年代を感じさせるこの様な石碑もありました。この石碑には「大分県八景之一 宇佐山郷」と、「大分県十二景之一 安心院盆地」と刻まれていました。これらについてはいくら調べても分かりませんでしたが、昔の大分県の景勝地の碑のようでした。
ここには駐車場のような広い空き地があったので、車を停めたらまずは横穴式古墳の「下市百穴」へと向かいました。
下市百穴の入口付近は道もはっきりしていましたが、先に進むと雑草や樹木がうっそうと繁っていて、腰をかがめないと前へ進めないほど木の枝が歩道に覆いかぶさっていました。
頭上に伸びた枝を払いながらようやく横穴式古墳の「下市百穴」へ着きましたが、ここも雑草が繁っていて古墳はほとんど見えませんでした。以前ここを訪れた時には雑草は全く無くて、岩壁にはズラリと横穴式古墳が並んでいるのが見えたんですよね。
下市百穴の説明板です。これを読むとここには横穴古墳が32基あると書かれていましたが、この時見れたのはわずか数基だけでした。
下市百穴はちょっと残念な結果でしたが、駐車場に戻ったら車で少しだけ移動して新貝川の河川敷に車を停めました。画像の左側に幟が立っているところはスッポン養殖場の「安心院すっぽんセンター」で、正面に見える鳥居はその向こうの森の中にある「三女神社」の一の鳥居です。駐車場(空き地?)はこの鳥居を潜った先にあります。
河川敷に車を停めたら、スッポン養殖場横の道を奥にあるこんもりと樹木が繁った森に向かって歩きました。
道は森の手前で行き止まりになっていますが、ここには小さな鳥居が建っていて、その奥には小さなお社もあるようでした。
鳥居の前には「下市摩崖仏」の説明板がありました。これによると鳥居を潜った先の北東壁には7体の摩崖仏が、そして鳥居の左側の下市百穴のある南東壁には4体の摩崖仏があるようでした。
鳥居の前から南東壁を眺めると、壁面は樹木などに覆われていて、摩崖仏は全く見ませんでした。以前ここを訪れた時にはこの狭い通路が下市百穴まで続いていて、摩崖仏も下市百穴もここから見れたんですよね。
これが鳥居を潜った北東壁に彫られている7体の「下市摩崖仏」です。
それぞれの摩崖仏は像の高さが2mほどありそうでした。そして摩崖仏ごとに岩が独立しているような感じに見えましたが、これは自然に割れた岩に摩崖仏を掘ったのか?或いは摩崖仏ごとに岩を分割したのか?どちらなんでしょうね?
これらの摩崖仏は室町時代前半の作ともいわれていますが、長年の風雨に晒されてかなり劣化しているものもありました。
摩崖仏の彫られている岩壁の前には大きな木も茂っていて、幹の向こう側にも摩崖仏があるような感じでしたが、岩壁にピッタリとくっつくように幹が成長していたの、全く見ることができませんでした。
摩崖仏のすぐ横には小さなお社があって参拝する人もいるようで、ある程度清掃もされていましたが、南東壁は全く手入れされてなくて、樹木や雑草に覆われて見物もできなかったのがちょっと残念でした。
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