唐戸市場での昼食を済ませたら周辺を少しだけ散策しました。
今回は関門海峡を挟んだ対岸の門司港に車を置いてきたので、唐戸市場の向かいにある「亀山八幡宮」だけを訪れました。この周辺には見どころがたくさんありますが、歩いて訪れるにはちょっと距離もあって、炎天下はまだまだ暑いですからね。ちなみに亀山八幡宮のこの大鳥居は高さが12.7m、重量は50tもあって御影石では日本一の大きさだそうです。
国道9号を渡って鳥居の真下から眺めた扁額です。亀山宮と刻まれた扁額の「山」の文字には白いものが見えていますが、これは今から70年近く前の昭和33年に、近くで働く人が野球をしていて打った球が、偶然ここに挟まって今まで落ちることなく残っているそうです。
望遠で撮影してみたらこんな感じでした。70年近く風雨に晒されて表面が劣化して野球のボールには見えませんでしたが、亀山八幡宮はいつしか野球の神様と呼ばれるようになって、高校球児や受験生など多くの人がここへ参拝に訪れるようになったそうです。
亀山八幡宮は高い石垣が積まれた高台のようなところに建っていて、「世界一の ふくの像」や「関の氏神 亀山八幡宮」と書かれた横断幕も掲げられていました。
亀山八幡宮の境内案内図です。
これから急な石段の参道を登って参拝です。大鳥居の両脇には「床屋発祥の地」や「山陽道起点」などの石碑もありました。
境内はあまり広くはありませんが、全体がコンパクトにまとまっているって感じで、展望台のような雰囲気もあるとても明るい境内でした。
境内には亀山八幡宮の名前に因んでいるのか?所々に亀の像などがありましたが、手水舎では龍じゃなくて亀の口から水が出ていました。
ここが亀山八幡宮の拝殿です。
拝殿の前から振り返って眺めた景色です。ここからは関門海峡が一望できて、行き交う船も間近に見ることができるので、亀山八幡宮は「関の氏神様」って表現がピッタリの神社でした。
境内の一角には舞台のような広いところもありました。何に使用されるのかは調べても分かりませんでしたが・・・
ここからは関門海峡と手前の建物などが望めました。すぐ足元を走っている道路は国道9号で、左に見える建物は先ほど食事をしたばかりの「唐戸市場」です。そして右に見える建物はお食事処、お土産屋さんなどが集まった「カモンワーフ」です。
境内の一角には石碑や銅像、いくつかの説明板などがありました。
亀山八幡宮の境内には江戸時代にお茶屋があったそうですが、伊藤博文とお茶子だった木田梅子のエピソードは興味深いですね。
この銅像は石垣に横断幕が掲げられていた「日本一のふくの像」です。明治の初めまでは日本全国でフグ食を禁止していたそうですが、伊藤博文によって山口県は全国で最初にフグ食を解禁したそうです。
近くにはこの様な説明板もあって、幕末には境内に長州藩の砲台もあったそうです。今ではその痕跡も残っていないようですが、長州藩と列強4国(米、英、仏、蘭)による「下関戦争」の発端となる最初の砲弾はここから発射されているんですね。
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今回は関門海峡を挟んだ対岸の門司港に車を置いてきたので、唐戸市場の向かいにある「亀山八幡宮」だけを訪れました。この周辺には見どころがたくさんありますが、歩いて訪れるにはちょっと距離もあって、炎天下はまだまだ暑いですからね。ちなみに亀山八幡宮のこの大鳥居は高さが12.7m、重量は50tもあって御影石では日本一の大きさだそうです。
国道9号を渡って鳥居の真下から眺めた扁額です。亀山宮と刻まれた扁額の「山」の文字には白いものが見えていますが、これは今から70年近く前の昭和33年に、近くで働く人が野球をしていて打った球が、偶然ここに挟まって今まで落ちることなく残っているそうです。
望遠で撮影してみたらこんな感じでした。70年近く風雨に晒されて表面が劣化して野球のボールには見えませんでしたが、亀山八幡宮はいつしか野球の神様と呼ばれるようになって、高校球児や受験生など多くの人がここへ参拝に訪れるようになったそうです。
亀山八幡宮は高い石垣が積まれた高台のようなところに建っていて、「世界一の ふくの像」や「関の氏神 亀山八幡宮」と書かれた横断幕も掲げられていました。
亀山八幡宮の境内案内図です。
これから急な石段の参道を登って参拝です。大鳥居の両脇には「床屋発祥の地」や「山陽道起点」などの石碑もありました。
境内はあまり広くはありませんが、全体がコンパクトにまとまっているって感じで、展望台のような雰囲気もあるとても明るい境内でした。
境内には亀山八幡宮の名前に因んでいるのか?所々に亀の像などがありましたが、手水舎では龍じゃなくて亀の口から水が出ていました。
ここが亀山八幡宮の拝殿です。
拝殿の前から振り返って眺めた景色です。ここからは関門海峡が一望できて、行き交う船も間近に見ることができるので、亀山八幡宮は「関の氏神様」って表現がピッタリの神社でした。
境内の一角には舞台のような広いところもありました。何に使用されるのかは調べても分かりませんでしたが・・・
ここからは関門海峡と手前の建物などが望めました。すぐ足元を走っている道路は国道9号で、左に見える建物は先ほど食事をしたばかりの「唐戸市場」です。そして右に見える建物はお食事処、お土産屋さんなどが集まった「カモンワーフ」です。
境内の一角には石碑や銅像、いくつかの説明板などがありました。
亀山八幡宮の境内には江戸時代にお茶屋があったそうですが、伊藤博文とお茶子だった木田梅子のエピソードは興味深いですね。
この銅像は石垣に横断幕が掲げられていた「日本一のふくの像」です。明治の初めまでは日本全国でフグ食を禁止していたそうですが、伊藤博文によって山口県は全国で最初にフグ食を解禁したそうです。
近くにはこの様な説明板もあって、幕末には境内に長州藩の砲台もあったそうです。今ではその痕跡も残っていないようですが、長州藩と列強4国(米、英、仏、蘭)による「下関戦争」の発端となる最初の砲弾はここから発射されているんですね。
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