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シーガーデンひじ を出発したら国東半島へと向かいますが、その前に一ヶ所だけ日出町の観光地を訪れました。


シーガーデンひじ からは一旦国道10号の上り車線へ出て2㎞ほど走ったら、日出町の町中へと右折して商店街の中の道を数百m走ると、この様な標識が見えてくるので、ここを右折して日出城址の観光駐車場がある「二の丸館」へと向かいました。




ここが「二の丸館」です。ここは駐車場が普通車12台とあまり広くはありませんが、無料で車を停めることができます。




ここにはこの様な看板が立てられていて、観光案内所やお食事処(カフェ?)もあるようですね。




二の丸館の無料駐車場に車を停めたらさっそく日出城址の見物です。ここには江戸時代の日出城の姿が描かれたパネルもありました。これには天守なども描かれていますが、現存するのは移築、修復された鬼門櫓(隅櫓)のみです。




この建物が鬼門櫓(隅櫓)です。この櫓は日出城本丸北東隅に築かれていた櫓で、一見するとごく普通の櫓に見えますが・・・




北東の方角は災いを招く「鬼門」といわれていて、反対側から鬼門櫓を眺めると、災いを避けるために北東方向(左側)の隅を欠いた構造になっているのが分かります。これは全国的にもとても珍しいものだそうです。




鬼門櫓は内部も無料で見学ができます。櫓内には日出藩に関する展示物などがあって、初代日出藩主の木下延俊の家系図もありました。これを見ると父親の家定は豊臣秀吉の正室おねの兄で、実の兄弟では弟に小早川秀秋や、兄には備中足守藩主の利房がいることが分かります。




鬼門櫓の見学をしたら城址の見学をしました。この石垣の上にはかつて三層の天守が建っていた天守台跡の石垣です。




天守台跡などの石垣の横には幅の広い長い石段があって、波打ち際まで続いていました。




ここが石段の終わりです。海岸には防波堤があって遊歩道になっていますが、当時はここに舟を着けて登城することができたんでしょうね。




石段の終わりから眺めた別府湾の景色です。画像に写っているのは別府市の背後にそびえる山々です。




ここにはこの様な案内板もありました。城下カレイについてはここに載っている通りですが、「城の下まで船が着く」とも書かれていたので、先ほどの石段は海からの登城口になるんでしょうね?




日出城址を出発したら近くにある「日出若宮八幡神社」へも行ってみました。ここは千年以上の歴史がある由緒ある神社で、境内には歴代の日出藩主が奉納した鳥居や石灯籠が残されています。




石灯籠や鳥居には奉納した歴代城主の名前が刻まれていますが、日出藩木下氏は豊臣秀吉とは血のつながりはありませんが姻戚関係になるので、わずか3万石ほどの大名ですが、江戸幕府から許されて唯一本姓を「豊臣」とした大名で、この石灯籠には「城主 従五位下 豊臣俊泰」と刻まれていました。豊臣俊泰とは日出藩の9代藩主の木下俊泰のことです。



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