佐波川SAを出発したら山陽道を防府西ICまで走って高速を降りました。
防府西ICから一般道へ出たら、国道2号を経由して川を渡りましたが、橋の上に掲げられた標識にはこれから向かう「防府天満宮」と書かれていました。目的地の防府天満宮まではもう少しのようですね。そしてこの橋の欄干部分には「佐波川」と書かれていました。りゅう君と車中泊をした佐波川SAの佐波川って地名じゃなくて川の名前だったんですね。
佐波川を渡って2kmも進むと防府天満宮の駐車場に到着しました。看板には「防府天満宮 梅林 駐車場」と書かれていますが、この時は梅じゃなくて背後の山に咲いている桜が満開でとてもきれいでした。
梅林駐車場に車を停めたら、さっそく防府天満宮の拝殿へと向かいましたが、途中には防府天満宮の説明板がありました。ここは天満宮なのでご祭神は当然のごとく菅原道真公ですが、文中には日本で最初に創建された天神様と書かれていました。天満宮(天神様)といえば、菅原道真が左遷された福岡県の太宰府にある「太宰府天満宮」を真っ先に思い浮かべますが、ここはそれよりも創建が古いんですね。
梅林駐車場は拝殿、本殿にもっと近いところにある駐車場なので、歩き始めるとすぐに拝殿への山門が見えてきますが・・・
拝殿へと続く表参道は、ここからかなり下ったところからずっと続いていました。このままお参りしてもよかったんですが、この長い参道と石段を登ってお参りをしないとご利益が無さそうだったので、まずは表参道の入口まで下ってみます。
ここが表参道の入口のようでしたが、長い参道の先は樹木に覆われていて拝殿などは全く見えませんでした。
ここにはこの様な石柱もあって、鳥居の前を横切るように走っている道の両側は門前町のようになっていますが、この道は江戸時代には萩と防府を結ぶ「萩往還」や「旧山陽道(西国街道)」だったようですね。
一旦表参道の入口まで出たら、石灯篭がズラリと並ぶ参道を歩いて、防府天満宮の拝殿へと向かいます。
参道の途中には大専坊跡や円楽坊跡などの見どころもありましたが、大きな樽に ゛おさいせん ゛と書かれた小さな神社もありました。この神社は「酒垂神社(さかたりじんじゃ)」というそうですが、この大きな樽いっぱいにお賽銭が溜まったらどれくらいの金額になるのかとても気になりますよね(笑)
表参道を歩いて拝殿の手前にある山門まで来ました。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、日本三大天神といわれる防府天満宮ですが、天満宮は八幡総本社の宇佐神宮のように総本社というのは無いんでしょうか?
豪華な山門を潜った先にある防府天満宮の拝殿です。きらびやかな山門に比べると質素な感じの拝殿ですね。
広い境内には見所がいくつもあってとても紹介しきれませんが、なかには「LOVE神社」の碑と書かれたものもありました。でも近くには鳥居の形が刻まれた四角い石碑があるだけで、鳥居やお社などはどこにも無くて、どこが「LOVE 神社」なのかよく分かりませんでした(笑)
さらに境内を歩いていると「春風楼(しゅんぷうろう)」という舞台のような大きな建物がありました。
この建物は10代萩藩主が五重塔として建設を始めたものの、諸事情によって中断となって、基礎部分をそのまま残してその上にお堂を建てたので、床下を覗くと彫刻などが施された立派な造りとなっていました。
このお堂へは上がることができたので、さっそく広い舞台のようなところへ上がってみると、防府市街地が一望出来ました。
しばらく景色を眺めていましたが、上空では防府天満宮の上を旋回するように盛んにプロペラ機が飛んでいました。このすぐ近くには航空自衛隊の防府北基地があって、ここにはパイロットを養成する航空教育隊があるので、その初等訓練機なんでしょうね。
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防府西ICから一般道へ出たら、国道2号を経由して川を渡りましたが、橋の上に掲げられた標識にはこれから向かう「防府天満宮」と書かれていました。目的地の防府天満宮まではもう少しのようですね。そしてこの橋の欄干部分には「佐波川」と書かれていました。りゅう君と車中泊をした佐波川SAの佐波川って地名じゃなくて川の名前だったんですね。
佐波川を渡って2kmも進むと防府天満宮の駐車場に到着しました。看板には「防府天満宮 梅林 駐車場」と書かれていますが、この時は梅じゃなくて背後の山に咲いている桜が満開でとてもきれいでした。
梅林駐車場に車を停めたら、さっそく防府天満宮の拝殿へと向かいましたが、途中には防府天満宮の説明板がありました。ここは天満宮なのでご祭神は当然のごとく菅原道真公ですが、文中には日本で最初に創建された天神様と書かれていました。天満宮(天神様)といえば、菅原道真が左遷された福岡県の太宰府にある「太宰府天満宮」を真っ先に思い浮かべますが、ここはそれよりも創建が古いんですね。
梅林駐車場は拝殿、本殿にもっと近いところにある駐車場なので、歩き始めるとすぐに拝殿への山門が見えてきますが・・・
拝殿へと続く表参道は、ここからかなり下ったところからずっと続いていました。このままお参りしてもよかったんですが、この長い参道と石段を登ってお参りをしないとご利益が無さそうだったので、まずは表参道の入口まで下ってみます。
ここが表参道の入口のようでしたが、長い参道の先は樹木に覆われていて拝殿などは全く見えませんでした。
ここにはこの様な石柱もあって、鳥居の前を横切るように走っている道の両側は門前町のようになっていますが、この道は江戸時代には萩と防府を結ぶ「萩往還」や「旧山陽道(西国街道)」だったようですね。
一旦表参道の入口まで出たら、石灯篭がズラリと並ぶ参道を歩いて、防府天満宮の拝殿へと向かいます。
参道の途中には大専坊跡や円楽坊跡などの見どころもありましたが、大きな樽に ゛おさいせん ゛と書かれた小さな神社もありました。この神社は「酒垂神社(さかたりじんじゃ)」というそうですが、この大きな樽いっぱいにお賽銭が溜まったらどれくらいの金額になるのかとても気になりますよね(笑)
表参道を歩いて拝殿の手前にある山門まで来ました。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、日本三大天神といわれる防府天満宮ですが、天満宮は八幡総本社の宇佐神宮のように総本社というのは無いんでしょうか?
豪華な山門を潜った先にある防府天満宮の拝殿です。きらびやかな山門に比べると質素な感じの拝殿ですね。
広い境内には見所がいくつもあってとても紹介しきれませんが、なかには「LOVE神社」の碑と書かれたものもありました。でも近くには鳥居の形が刻まれた四角い石碑があるだけで、鳥居やお社などはどこにも無くて、どこが「LOVE 神社」なのかよく分かりませんでした(笑)
さらに境内を歩いていると「春風楼(しゅんぷうろう)」という舞台のような大きな建物がありました。
この建物は10代萩藩主が五重塔として建設を始めたものの、諸事情によって中断となって、基礎部分をそのまま残してその上にお堂を建てたので、床下を覗くと彫刻などが施された立派な造りとなっていました。
このお堂へは上がることができたので、さっそく広い舞台のようなところへ上がってみると、防府市街地が一望出来ました。
しばらく景色を眺めていましたが、上空では防府天満宮の上を旋回するように盛んにプロペラ機が飛んでいました。このすぐ近くには航空自衛隊の防府北基地があって、ここにはパイロットを養成する航空教育隊があるので、その初等訓練機なんでしょうね。
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