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長崎県東彼杵郡川棚町にある「特攻 殉国の碑」を出発したら、再び国道205号へ戻ってさらに北上しました。


国道205号を北上していると、すぐに長崎県佐世保市へ入りましたが、佐世保市へ入って1.5㎞ほど進むと、国道から150mほど右へ入ったところに「無窮洞(むきゅうどう)」と書かれた看板が見えてきたので、国道を右折してここに車を停めました。ここは当初の計画には入ってなかった初めて訪れるところです。




崖沿いに数台の車が停められる駐車場があって、その奥は看板などが立てられた小さな公園のようになっていました。そしてここを数百mほど奥へ進むと、地元では有名な日本酒醸造所の「梅ケ枝酒造」があります。




ここには「日本遺産 鎮守府 無窮洞」と書かれた標柱もありました。鎮守府(ちんじゅふ)とは旧海軍の拠点となっていた軍港のことで、戦前には横須賀、舞鶴、呉、佐世保の4か所がありました。




そして女の子が洞窟を掘っている様子を表したこの様な石像もありました。「無窮洞」は太平洋戦争時に地元の教師と学童(小学生)が防空壕兼教室として掘った巨大な洞窟なんですよね。ちなみに「無窮」とは「無限」のことで、子供たちの無限の夢を願って名付けられたそうです。




狭い敷地の一角には「無窮洞案内所」と看板が掲げられたプレハブ小屋がありました。ここには常駐?のボランティアの人がいてパンフレットを貰えるほかに、お願いすれば洞内の案内、説明もしてくれます。




この時は案内はお願いしませんでしたが、貰ったパンフに載っていた案内図を元に無窮洞の見学をしました。




ここが無窮洞の入口です。この洞窟は防空壕なので、入口は人がすれ違えないほど狭く掘られていますが・・・




内部は臨時の教室としても使えるようにとても広くなっています。




この画像はパンフからの引用ですが、太平洋戦争当時はこの広い洞窟内に机、椅子を並べて授業を受けていたんでしょうね?




洞内にはいくつかの写真パネルも展示されていて、この画像の上の2枚の写真は当時の学童が実際に無窮洞を掘っているところです。




洞内には無窮洞の掘削に使用した道具の説明もあって、実際に使用されていたツルハシなども展示されていました。




広い洞内の奥はこの様になっていて教壇と説明書きがありました。背後が背の高い板のようになっていたので、ここには黒板を掛けていたのかも知れませんね?そしてこれらは全て後から置いたものじゃなくて、この形に岩を削っているんですよね。




教壇の横からはさらに奥へと防空壕が続いていました。




ここは重要書類棚ですが、これも全て岩を削って作られているんですよね。学童が掘ったとは思えない芸術的ともいえる見事さですね。






防空壕内にはある程度の生活ができるように調理流し台やかまどなども作られていました。
ここは当初の計画には入ってなかったところですが、遠くへ出かけた時に新しい発見があるのは、予定よりも時間は下がってしまいますがとても嬉しいことですね。




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