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最近は寒波が何度もやって来て出かけるのも億劫でしたが、ようやく春らしい陽気となってきたので、この日は近場の大分市佐賀関方面へぶらりと出かけました。


この日は太陽が昇って暖かくなった昼前にお家を出発し、国道197号を佐賀関方面へと進み、国道が海沿いの道となる手前の本神崎(ほんこうざき)地区まで来たら、道路沿いに「P 築山古墳」と書かれた標識が見えてきたのでここに車を停めました。




国道沿いの駐車スペースには10台ほどの車が停められて、国道を渡ったところには国指定史跡で前方後円墳の築山古墳があるので「こうざき 石棺さま」などと書かれたこの様な看板が立てられています。




駐車場に車を停めたらさっそく国道を渡って「築山古墳」へと向かいました。古墳へはこの狭い道を入って行きますが、正面の樹木が繁ったところはもう前方後円墳の後円部になります。




築山古墳の手前には「神崎八幡神社(こうざきはちまんじんじゃ)」があります。




神崎八幡神社の境内の横は小山のようになっていて樹木がうっそうと繁っていますが、ここがもう築山古墳の後円部です。神社と古墳が一体になったような感じですね。




境内には築山古墳の案内板があって、これを見ると築山古墳は5世紀に造られた全長98mの前方後円墳で、発掘調査によって二つの石棺と4体の被葬者や、たくさんの副葬品などが発見されたそうです。




説明板には周辺の主要な古墳の分布も載っていて、大分県最大規模で全長116mもある前方後円墳の「亀塚古墳」と築山古墳は直線距離でわずか6㎞ほどしか離れてなくて、築造時期もほぼ同じ頃なので互いに関連があるのかも知れませんね。




神崎八幡神社の拝殿の横からは築山古墳の後円部へ登る階段があるので、これから古墳の頂部へ登ってみます。




古墳の頂部にはお社のような建物が2棟並んで建っていました。でも建物は老朽化して危険なのか?周囲にはロープが張り巡らされて頭上注意の看板もありました。






建物の内部はこの様になっていて、この場所から石棺が出土したのか?ひとつは白い葺石で埋められていて、もうひとつは石棺の周囲に白い葺石を並べたような状態でした。




後円部を降りてから眺めた前方部です。画像の右端の部分は溝が掘られて人が通れるようになっていました。この右側に後円部がありますが、この溝で古墳は二つに分断されているんですよね。




前方部の端から眺めた後円部です。後円部は樹木がうっそうと繁っているので形がほとんど分かりませんでした。そして古墳の周囲には民家が建っていたり、藪になっているので古墳全体を見ることもできませんでした。




前方部からは別府湾が見えました。海が見える場所に造られた古墳なので、埋葬者は国道沿いの看板に書かれていたように海人族(あまぞく)の王(女性首長)なんでしょうね。




この画像は近くにある「亀塚古墳」です。ここもかつては竹林などがうっそうと繁った藪だったそうですが、今では古墳も復元されてきれいに整備され資料館などもある公園のようになっています。
築山古墳も亀塚古墳に次ぐ大規模な古墳なので、もう少し復元、整備できないものでしょうか?



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