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臼杵市の沿岸にある4基の鯨の墓(供養塔)などを見物したら、臼杵市街地へと向かいました。


この画像は車を停めた臼杵市観光交流プラザから眺めた臼杵城跡です。自然の地形(島)を利用した城は丹生島城(にゅうじまじょう)とも呼ばれて、三方を海に囲まれて干潮時のみ陸続きになる島だったそうですが、今では周辺の埋め立てが進んで当時の面影は無いですね。




臼杵城跡は入口付近で工事を行っていて城内へは入れないようだったので、これから向かうのは凝灰岩の丘の上に多くの武家屋敷跡や寺社などが立ち並ぶ「二王座歴史の道」です。




臼杵市は臼杵藩稲葉氏5万石の城下町で、狭い路地には今でも白壁の土蔵や武家屋敷跡がたくさん残っていて往時を偲ばせてくれます。




白壁の建物が立ち並ぶ路地を歩いていると「雛めぐり」と書かれたポスターが玄関に貼られて、座敷に雛人形が飾られた家屋が見てきました。ここは「旧真光寺」といって今はお休み処となっているところで、自由に雛飾りの見物ができます。




臼杵市では例年この時期になると「うすき雛めぐり」を開催していて、市内の各所に雛人形が飾られますが、臼杵で飾られるのは「紙雛」といって和紙で作られたシンプルな雛人形です。臼杵藩では質素倹約のために和紙で作った雛人形以外は飾ることを許されなかったそうです。




武家屋敷跡の狭い路地は徐々に登り坂になって高台へと続いていますが、江戸時代の面影を残した武家屋敷通りはとても風情がありますね。




さらに先へ進むと「二王座歴史の道・切通し」と書かれた石柱が見えてきました。「切通し」とは山や丘の一部を人が通れるように切り開いた部分のことで、この辺り一帯は阿蘇凝灰岩の高台になっているので、岩盤を削って通路を作り、その上に屋敷を建てたんでしょうね。




ここが「切通し」です。人が通れるように岩盤が削られて左側は崖のようになっています。




切通しを通り過ぎて振り返って眺めた景色です。人が通る部分は深く削られていますが、その両側の削られていない高台には民家が建っています。かつてはこの高台に多くの武家屋敷が建っていたそうで、攻め込んでくる敵を防ぐ役目もあったのかも知れませんね?




この家はさらに高い位置に建てられていて、周囲は石垣で囲まれていて難攻不落のお城って感じですね。




二王座歴史の道の最も高いところまでやって来ました。正面には武家屋敷の立派な門が見えていますが、この門には表札も掛けられていたので、今でも人(武士の末裔?)が住んでいるようでした。




高台から眺めた臼杵市の町並みです。画像の中央付近には天秤計りの分銅(フンドー)の上に「金(キン)」の文字が描かれた、大分県民なら誰でも知っている味噌、醤油会社の本社工場も見えました。




二王座歴史の道を下ったら商家が石畳通りの両側に立ち並ぶ「八町大路(中央通り商店街)」へと向かいました。通りの入口には大友宗麟の時代に明国から持ち込まれたといわれる石敢當(いしがんとう、せっかんとう)がありますが、その後ろには大きな文字で「がんばろう 八町大路」と書かれていました。




八町大路には歴史を感じさせる多くの商店が立ち並んでいますが、画像の右端には白いシートで覆われたところがありました。




近くへ行ってみると焼け焦げて無残な姿になった建物が見えました。臼杵市では昨年の11月に商店や民家など15棟もの建物が焼失する大火が発生して、八町大路の商店街の一部にも被害が及んだんですよね。




通りの一角にはこの様な寄付金箱も置かれていました。この大火では幸いなことに人的被害はありませんでしたが、臼杵市のこの辺りは昔ながらの町並みが残っていて、狭い路地に家屋がひしめきあっているので被害が大きくなったんでしょうね。
一日も早い復興を祈るばかりですね。



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