まだ骨折が完治してなくて、GW中もお家で過ごしていましたが、津久見市へ河津桜の観賞に訪れた時に道中で寄った場所でまだ載せてなかったものがいくつかあるので、遅くなりましたがこれから載せます。
河津桜の名所の津久見市四浦半島へは臼杵市を経由して一時間ほどで行けますが、この時は臼杵市へ入ったら、先日訪れた時に時間の都合で寄れなかった臼杵市の沿岸にある五つ目の鯨の墓に寄ってみました。
四浦半島へは大分市から津久見ICまで東九州道を走れば最短時間で行けますが、この日は途中で鯨の墓の見物をするために、臼杵市へ入ったら海岸沿いを通る県道217号を走りました。しばらく海沿いの道を走っていると「板知屋(いたちや)」と書かれたバス停と漁港が見えてきました。
ここには以前このブログでも紹介したことのある「厳島神社」という神社があります。
厳島神社は集落の中の狭い路地を抜けた先の山側にある小さな神社ですが、社殿の手前には逆立ちをした全長が数十センチメートルほどの可愛らしい狛犬がいるんですよね。
板知屋を通り過ぎて海岸沿いの道をさらに先へ進むと、道路は山へと入って行く県道217号と、海沿いを進む県道707号の二手に分かれる交差点へ出るので、ここを左折して県道707号へ進むと、「大泊(おおどまり)」と書かれた県道の標識と漁港が見えてきたのでここに車を停めました。
漁港の駐車場から眺めた大泊漁港と、その沖に浮かぶ別名「おにぎり島」とも呼ばれる「津久見島」です。画像には防波堤が写っていますが、この時に防波堤の上からバランスを崩して内側に転落して足の指を骨折したんですよね。でも反対側の外海に転落していたらと考えると、ある意味ではラッキーだったのかもしれませんね(笑)
漁港の前には「月見島観光」と看板の掲げられた建物がありました。シャッターが閉じていて今はもう営業をしていないようでしたが、看板に書かれている「月見島」は、この沖合に浮かぶ「津久見島」のことで、江戸時代に臼杵藩主がお城から眺めた津久見島と月を望む景色がとても見事だったことから「月見島」と名付けたそうです。
漁港に向かって左側の山の下にはガードレールが見えていますが、ここが今走って来た県道217号で、臼杵市で五つ目の鯨の墓(供養塔)はこの道路のカーブのところにあります。
さっそく鯨の墓へと行ってみました。ここには二つの供養塔と石灯籠がありました。
鯨の墓(供養塔)は台座部分を含めると2m以上の高さがあって「大鯨魚寶塔」と刻まれていました。以前見物した臼杵市沿岸の4つの鯨の墓については詳しい記録が残っていませんが、この鯨の墓については古文書が残っていて、当時の大泊村は漁港造成による莫大な借金返済に困窮していて、明治3年にシャチに追われて漁港へ逃げ込んだ鯨を捕獲して、その肉や油などを売却して莫大な借金を全額返済したそうです。
もうひとつの供養塔には「法華石書萬霊供養塔」と刻まれているようだったので、これも生活の糧として捕獲した生き物に対する感謝を込めた供養塔なんでしょうね。
鯨の墓を見物をしたら、漁港の背後にそびえる山を越えて河津桜が咲く津久見市の四浦半島へと向かいました。
津久見市へと向かう山越えの道は県道217号です。ここはかつては臼杵市と津久見市を結ぶ主要道路の国道217号でしたが、今では臼杵市街地から直接山越えで長いトンネルを抜けて津久見市へと出る新しい国道217号が開通しているので、この道を走る車は今ではほとんどありません。
この画像は大泊港を出発してすぐに撮影したカーナビの画像です。左側が臼杵市で右側が津久見市です。県道217号は大泊港からいきなり急坂のクネクネ道となって、ひたすら坂道を登って行きますが、道路はほぼ全線が片側一車線の意外と広い道なんですよね。
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河津桜の名所の津久見市四浦半島へは臼杵市を経由して一時間ほどで行けますが、この時は臼杵市へ入ったら、先日訪れた時に時間の都合で寄れなかった臼杵市の沿岸にある五つ目の鯨の墓に寄ってみました。
四浦半島へは大分市から津久見ICまで東九州道を走れば最短時間で行けますが、この日は途中で鯨の墓の見物をするために、臼杵市へ入ったら海岸沿いを通る県道217号を走りました。しばらく海沿いの道を走っていると「板知屋(いたちや)」と書かれたバス停と漁港が見えてきました。
ここには以前このブログでも紹介したことのある「厳島神社」という神社があります。
厳島神社は集落の中の狭い路地を抜けた先の山側にある小さな神社ですが、社殿の手前には逆立ちをした全長が数十センチメートルほどの可愛らしい狛犬がいるんですよね。
板知屋を通り過ぎて海岸沿いの道をさらに先へ進むと、道路は山へと入って行く県道217号と、海沿いを進む県道707号の二手に分かれる交差点へ出るので、ここを左折して県道707号へ進むと、「大泊(おおどまり)」と書かれた県道の標識と漁港が見えてきたのでここに車を停めました。
漁港の駐車場から眺めた大泊漁港と、その沖に浮かぶ別名「おにぎり島」とも呼ばれる「津久見島」です。画像には防波堤が写っていますが、この時に防波堤の上からバランスを崩して内側に転落して足の指を骨折したんですよね。でも反対側の外海に転落していたらと考えると、ある意味ではラッキーだったのかもしれませんね(笑)
漁港の前には「月見島観光」と看板の掲げられた建物がありました。シャッターが閉じていて今はもう営業をしていないようでしたが、看板に書かれている「月見島」は、この沖合に浮かぶ「津久見島」のことで、江戸時代に臼杵藩主がお城から眺めた津久見島と月を望む景色がとても見事だったことから「月見島」と名付けたそうです。
漁港に向かって左側の山の下にはガードレールが見えていますが、ここが今走って来た県道217号で、臼杵市で五つ目の鯨の墓(供養塔)はこの道路のカーブのところにあります。
さっそく鯨の墓へと行ってみました。ここには二つの供養塔と石灯籠がありました。
鯨の墓(供養塔)は台座部分を含めると2m以上の高さがあって「大鯨魚寶塔」と刻まれていました。以前見物した臼杵市沿岸の4つの鯨の墓については詳しい記録が残っていませんが、この鯨の墓については古文書が残っていて、当時の大泊村は漁港造成による莫大な借金返済に困窮していて、明治3年にシャチに追われて漁港へ逃げ込んだ鯨を捕獲して、その肉や油などを売却して莫大な借金を全額返済したそうです。
もうひとつの供養塔には「法華石書萬霊供養塔」と刻まれているようだったので、これも生活の糧として捕獲した生き物に対する感謝を込めた供養塔なんでしょうね。
鯨の墓を見物をしたら、漁港の背後にそびえる山を越えて河津桜が咲く津久見市の四浦半島へと向かいました。
津久見市へと向かう山越えの道は県道217号です。ここはかつては臼杵市と津久見市を結ぶ主要道路の国道217号でしたが、今では臼杵市街地から直接山越えで長いトンネルを抜けて津久見市へと出る新しい国道217号が開通しているので、この道を走る車は今ではほとんどありません。
この画像は大泊港を出発してすぐに撮影したカーナビの画像です。左側が臼杵市で右側が津久見市です。県道217号は大泊港からいきなり急坂のクネクネ道となって、ひたすら坂道を登って行きますが、道路はほぼ全線が片側一車線の意外と広い道なんですよね。
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