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天草とれたて市場を出発したら、行きに走った国道324号を逆方向に進んで帰途につきました。


今回のお出かけで最大の目的だった小さな旅客機「みぞか号」の見物も終ったので、もうどこへも寄らずに帰宅する予定でしたが、天草とれたて市場から国道324号を数kmほど戻ったら、道路沿いに「大島子諏訪神社」と書かれた看板が見えてきたので、ちょっとだけ見物してみようとここに車を停めました。




大島子諏訪神社は国道324号沿いに建っていて、国道からは鳥居が見えるだけで駐車場の入口は見えなかったので、行きにここを通った時には素通りしたんですよね。




でも戻りに通った時には駐車場の入口が見えて、境内が駐車場になっているようだったので、ここから車を境内へ乗り入れました。入口には「大島子諏訪神社」と刻まれた石柱もありましたが・・・




反対の右側には「天草島原の乱 初戦の地」と刻まれた石柱も立っていました。




すぐ近くには説明板があって、これを読むと天草・島原の乱の初戦では幕府軍が敗れて天草下島(本渡)まで敗走したと書かれていました。そしてここには書かれていませんが、一説には天草・島原の乱はキリシタンと幕府の戦いというよりも、重い年貢に苦しむ農民の一揆の色合いが濃いといわれているんですよね。




神社へ参拝しようとしたら国道を渡った海側に古めかしい鳥居が建っているのが見えたので、参拝の前にこちらへも行ってみました。




鳥居の前は車海老の養殖場のようでしたが、その先には海が広がっていて天草四郎はこの辺りから上陸したのかも知れませんね?




ここにはこの様な説明書きがあって、この鳥居は天草・島原の乱の136年後の1773年に建立されたと書かれていました。




海側から眺めた鳥居です。長年の風雨や波浪に晒されて今にも崩れ落ちそうな感じでした。画像の左奥には国道沿いに建っている鳥居もわずかに見えているので、この古い鳥居が大島子諏訪神社の一の鳥居で、ここは海から続く参道の一部だったのかも知れませんね?




国道を渡って神社へ戻ったらこれから参拝をします。国道沿いに建っている二の鳥居?には「諏訪神社」とだけ刻まれていますが「大島子諏訪神社」の「大島子(おおしまご)」とはこの辺りの地名だそうです。




二の鳥居を潜って境内へ入ると、参道の両側に石灯籠が並んでいてその先に拝殿がありました。境内はよく清掃されていて地元で大事にされている神社って感じがしましたが、拝殿は境内の広さに対して意外とこじんまりしていました。




そしてこちらは拝殿の奥にある本殿です。一見すると地味な感じのする社殿ですが・・・




横へ廻ってみると一面に見事な彫り物があるとても立派な本殿でした。ここには彫り物につての説明書きもあって「牡丹の花に囲まれて龍が遊んでいる」や「兔が波のところで走っている」などと書かれていましたが、この画像からどの部分のことなのか分かるでしょうか?



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