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天草空港で小さくて可愛い旅客機「みぞか号」の見物したら本渡市街へと向かいました。


本渡市街を目指して進んでいるとこの様な標識が見えてきました。これから向かうのは真ん中に書かれている「祇園橋」の予定でしたが・・・




標識の立っているところを過ぎるとすぐに「天草キリシタン館」と書かれた看板が見えてきたので、予定を変更してここへも寄ることにしました。




ここにはこの様な看板も出ていて「天草キリシタン館」と「城山公園(殉教気公園)」があるようでした。そして看板の横には一方通行の標識も立てられていましたが、この時はこの標識を見落としていて後から大失敗をしたんですよね(笑)




1.5車線ほどの狭いクネクネ道を数百mくらい登って行くと、道路沿いに数台の車が停められる駐車場とトイレがあって、その横には石灯籠が並んだ遊歩道のような道がありました。




ここには写真付きの案内板があって、この一帯では16世紀後半頃にあった城跡の遺構などが出土していると書かれていました。




石灯籠が並んだ遊歩道の先は広場のようになっていて、一段高くなったところにお墓のような石碑が建っていました。




石碑には「殉教戦千人塚」と刻まれていて、この辺り一帯は島原の乱の最初の激戦地だったところで、両軍合わせて無数の死者が出たといわれていて、この碑は天草四郎が率いるキリシタン軍と幕府軍の戦死者を祀ったものだそうです。




すぐ近くには「史跡 本戸城(本渡城)」と刻まれた石碑もありました。本渡城は中世に築かれた山城で、当時この地を支配していた天草氏の拠点だったところだそうです。




この石碑は島原の乱とは直接関係が無いようでしたが、碑文を読むと戦国時代に本渡城の城主でキリシタン大名だった天草種元が加藤清正、小西行長軍の攻撃によって城が落城して千三百余名が城と運命を共にしたと刻まれていました。




殉教戦千人塚の見物をしたら、車でもう少し山を登って行くと立派な建物が見えてきました。




建物の前の道路には大きな文字で一方通行と書かれていて矢印も描かれていましたが、この時にはなぜかこの大きな文字にも全く気付かなかったんですよね。




この建物は「天草キリシタン館」といって、島原・天草一揆(島原の乱)を4つのゾーンに分けて展示した資料館で、2階展示室以外は無料で見学できるので、資料館の周辺を見物したら館内へ入るつもりでいました。






天草キリシタン館が建っているのは小高い丘(城山?)の上なので、ここからは本渡市街が一望できて、先ほど渡って来た天草未来大橋も眼下に見えました。




ここは十数年前にも訪れたことがありますが、今回訪れて見ると以前と様子が随分変わっているような気がして、天草四郎の銅像なども見つからなかったので、周辺をもう少しじっくり見てみようと車で先へ進んだら、正面に一方通行の標識が見えてきて、道も狭くなって車を停める場所も無かったのでそのまま山を降りました。
帰ってからその時の画像を見たら、一方通行の標識がいくつも写っていたのになぜこの時は気付かなかったんでしょうね?ここは心霊スポットとしても有名なところらしいのでもしかしたら・・・(笑)



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