この日は鹿児島旅行以来一ヵ月ぶりとなる遠出で、お家を早朝に出発して宮崎市まで出かけました。
お家を出発したのは辺りがまだ真っ暗な早朝の4時過ぎでしたが、最初の目的地までは200㎞ほどの距離があるので、国道10号をひたすら南下して、最初に休憩をしたのはお家から120㎞ほど離れた国道10号沿いにある道の駅「日向」です。ここへ到着したのは6時過ぎでしたが、この頃になってようやく日向灘に太陽が昇り始めました。夏至の頃に比べるとかなり日が短くなっていますね。
道の駅「日向」でトイレ休憩を済ませたら国道10号をさらに南下して、次に車を停めたのは宮崎市の手前の宮崎県児湯郡新富町(こゆぐん しんとみちょう)にあるJR日豊本線の日向新富駅です。
新富町には航空自衛隊の新田原基地(にゅーたばるきち)があるので、駅前広場には退役したT-33A戦闘機が展示されています。尾翼にはかつて新田原基地にあった202飛行隊の部隊マークの武人埴輪も描かれていましたが、今回の最初の目的地は新田原基地じゃなくて、戦闘機の向こうに見えるこんもりと樹木が繁った小山なんですよね。
日向新富駅から線路を渡ると小山の前は住宅地になっていて、数台程度の車が停められる駐車場と「観音山公園」と書かれた看板が見えてきたのでここに車を停めました。公園の看板の横には「八十八ヶ所記念碑」と刻まれた石碑もありましたが、これについては後で説明しますね。
駐車場に車を停めたらさっそく観音山へと登ってみました。山頂へと続く遊歩道はつづら折れのかなりの急坂でしたが、遊歩道は舗装されていて落ち葉なども無かったので、これならニョロニョロした長い生物が現れてもすぐに発見できて安心ですね(笑)
観音山の山頂へ向かう登り坂の途中から眺めた景色です。日向新富駅はこの左側にありますが、ここからは日向灘(太平洋)は全く見えないようですね。今回ここを最初の目的地に選んだのは、この山の山頂に建っている灯台の見物をするためですが、この景色を眺めていると本当にこんな内陸部に灯台があるのかちょっと不安になりますね(笑)
遊歩道をさらに登って行くと、もう山頂が近いのか?勾配が緩やかになってきて、遊歩道の周囲にはたくさんの石仏が見えてきました。
石仏の台座部分を見たら、「二十一番 阿波国 太龍寺」と刻まれていました。これって四国八十八ヶ所霊場巡りの二十一番札所の太龍寺のことですよね。公園の入口に建てられていた石碑に刻まれた「八十八ヶ所記念碑」はこのことだったんですね。帰ってから調べたらここには88体の石仏の他に、西国三十三ヶ所霊場巡りの33体の石仏もあるそうでした。
山頂付近のうっそうと樹木が繁った薄暗い遊歩道を100mも進むと、視界が開けてきて白い塔のような建物が見えてきました。
この白い塔のように見えていた建物が目的の灯台でした。日向灘の沿岸は海岸線が長くて、内陸部まで入らないと目印になるような高台も無いので、こんな海から離れたところに灯台が建てられたんでしょうね?
この灯台は富田灯台(とんだとうだい)といって、標高57mの観音山の山頂に昭和30年(1955年)に建てられた灯台です。
富田灯台は高さが9.3mのとても小さな灯台なので、一見すると灯台のモニュメントのような感じもしますが、入口の扉にはこの様なプレートが貼られていて、現在でも現役で稼働している灯台なんですよね。
海側から眺めた富田灯台です。小さくてかわいらしい灯台ですね。
富田灯台の上部を眺めると灯台の光源となるピカピカに磨かれたレンズ部分も見えました。今は日中なので点灯していませんでしたが、暗くなったら明々と日向灘を照らすんでしょうね。
灯台の前は広場のようになっていて小さな展望台らしきものもあったので、ここから日向灘を眺めてみました。
日向灘は東の方角になるので、この時は朝日が昇ったばかりで逆光となってうまく撮影ができませんでしたが、波打ち際からここまでは直線距離で1㎞以上もあって、その間には目印となるような高台も無いので、こんな内陸部の山の上に灯台を建てるしかなかったのがよく分かりますね。
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お家を出発したのは辺りがまだ真っ暗な早朝の4時過ぎでしたが、最初の目的地までは200㎞ほどの距離があるので、国道10号をひたすら南下して、最初に休憩をしたのはお家から120㎞ほど離れた国道10号沿いにある道の駅「日向」です。ここへ到着したのは6時過ぎでしたが、この頃になってようやく日向灘に太陽が昇り始めました。夏至の頃に比べるとかなり日が短くなっていますね。
道の駅「日向」でトイレ休憩を済ませたら国道10号をさらに南下して、次に車を停めたのは宮崎市の手前の宮崎県児湯郡新富町(こゆぐん しんとみちょう)にあるJR日豊本線の日向新富駅です。
新富町には航空自衛隊の新田原基地(にゅーたばるきち)があるので、駅前広場には退役したT-33A戦闘機が展示されています。尾翼にはかつて新田原基地にあった202飛行隊の部隊マークの武人埴輪も描かれていましたが、今回の最初の目的地は新田原基地じゃなくて、戦闘機の向こうに見えるこんもりと樹木が繁った小山なんですよね。
日向新富駅から線路を渡ると小山の前は住宅地になっていて、数台程度の車が停められる駐車場と「観音山公園」と書かれた看板が見えてきたのでここに車を停めました。公園の看板の横には「八十八ヶ所記念碑」と刻まれた石碑もありましたが、これについては後で説明しますね。
駐車場に車を停めたらさっそく観音山へと登ってみました。山頂へと続く遊歩道はつづら折れのかなりの急坂でしたが、遊歩道は舗装されていて落ち葉なども無かったので、これならニョロニョロした長い生物が現れてもすぐに発見できて安心ですね(笑)
観音山の山頂へ向かう登り坂の途中から眺めた景色です。日向新富駅はこの左側にありますが、ここからは日向灘(太平洋)は全く見えないようですね。今回ここを最初の目的地に選んだのは、この山の山頂に建っている灯台の見物をするためですが、この景色を眺めていると本当にこんな内陸部に灯台があるのかちょっと不安になりますね(笑)
遊歩道をさらに登って行くと、もう山頂が近いのか?勾配が緩やかになってきて、遊歩道の周囲にはたくさんの石仏が見えてきました。
石仏の台座部分を見たら、「二十一番 阿波国 太龍寺」と刻まれていました。これって四国八十八ヶ所霊場巡りの二十一番札所の太龍寺のことですよね。公園の入口に建てられていた石碑に刻まれた「八十八ヶ所記念碑」はこのことだったんですね。帰ってから調べたらここには88体の石仏の他に、西国三十三ヶ所霊場巡りの33体の石仏もあるそうでした。
山頂付近のうっそうと樹木が繁った薄暗い遊歩道を100mも進むと、視界が開けてきて白い塔のような建物が見えてきました。
この白い塔のように見えていた建物が目的の灯台でした。日向灘の沿岸は海岸線が長くて、内陸部まで入らないと目印になるような高台も無いので、こんな海から離れたところに灯台が建てられたんでしょうね?
この灯台は富田灯台(とんだとうだい)といって、標高57mの観音山の山頂に昭和30年(1955年)に建てられた灯台です。
富田灯台は高さが9.3mのとても小さな灯台なので、一見すると灯台のモニュメントのような感じもしますが、入口の扉にはこの様なプレートが貼られていて、現在でも現役で稼働している灯台なんですよね。
海側から眺めた富田灯台です。小さくてかわいらしい灯台ですね。
富田灯台の上部を眺めると灯台の光源となるピカピカに磨かれたレンズ部分も見えました。今は日中なので点灯していませんでしたが、暗くなったら明々と日向灘を照らすんでしょうね。
灯台の前は広場のようになっていて小さな展望台らしきものもあったので、ここから日向灘を眺めてみました。
日向灘は東の方角になるので、この時は朝日が昇ったばかりで逆光となってうまく撮影ができませんでしたが、波打ち際からここまでは直線距離で1㎞以上もあって、その間には目印となるような高台も無いので、こんな内陸部の山の上に灯台を建てるしかなかったのがよく分かりますね。
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