一福荘を出発したら昨日通った国道207号を来た方向に戻って、途中からUターンするように県道41号(鹿島嬉野線)へ左折して内陸部へと向かいました。
しばらく山道を走っていると、県道41号はこの日最初の目的地がある嬉野市へ入りました。
嬉野市へ入ったら嬉野温泉街へと向かい、温泉街の中にある有料駐車場に車を停めました。ここは「タイムズ シーボルトの湯」という有料駐車場で60台ほどの車が停められますが、観光客や買物客のために最初の90分までは無料になっているんですよね。
駐車場内に立てられていた嬉野温泉の案内図です。この案内図を見ても分かるように駐車場は温泉街の真ん中にあるんですよね。そしてこれから向かうのは⑦温泉公園と書かれた「嬉野温泉公園」です。
駐車場の目の前には大正ロマンを感じさせるゴシック風建造物の大衆浴場「シーボルトの湯」があります。
嬉野温泉公園へはシーボルトの湯の前を通り過ぎて橋を渡ります。この橋は「嬉野橋」という鉄製の橋ですが・・・
橋のたもとには昔の写真パネルが掲示されていて、嬉野橋は昭和2年に架橋された古い橋で、歴史を感じさせる趣のある橋なんですよね。
橋を渡ると有田焼で作られた陶板の看板があって、ロマンシング佐賀と書かれていました。
そしてその奥には嬉野温泉街の中を流れる塩田川沿いに桜の木が植えられた細長い公園がありました。ここが「嬉野温泉公園」です。
遊歩道の途中には「ゾンビランド サガ」のマンホールもありました。
公園の一角にはカウンター席のようにも見える不思議な構築物が、塩田川を望むように何ヵ所かに設置されていました。
近くに行ってカウンターの下側を見ると、フリーWiFiのステッカーが貼られていて、その横にはコンセントもありました。屋外の公園にこの様な設備があるのは初めて見ましたが、気候のいい時季だったらここでのんびりと仕事ができそうですね(笑)
公園の中央付近には能舞台のようなステージ?もありました。イベント時にはステージとして利用するんでしょうね?
そして公園の出口付近には塩田川に架かる赤い橋があって「温泉橋」と書かれていました。
温泉橋の中ほどから眺めた嬉野温泉街です。画像の左端に見えている尖がり屋根の建物がシーボルトの湯です。
橋を渡った先にも何軒かのお宿がありましたが、ここには「長崎街道嬉野宿」と書かれた木柱が立てられていました。長崎街道は小倉と長崎を結ぶ江戸時代の街道で、佐賀県内には13の宿場があって、嬉野宿はそのうちのひとつで、佐賀藩直営の公衆温泉もあったそうです。
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駐車場の目の前には大正ロマンを感じさせるゴシック風建造物の大衆浴場「シーボルトの湯」があります。
嬉野温泉公園へはシーボルトの湯の前を通り過ぎて橋を渡ります。この橋は「嬉野橋」という鉄製の橋ですが・・・
橋のたもとには昔の写真パネルが掲示されていて、嬉野橋は昭和2年に架橋された古い橋で、歴史を感じさせる趣のある橋なんですよね。
橋を渡ると有田焼で作られた陶板の看板があって、ロマンシング佐賀と書かれていました。
そしてその奥には嬉野温泉街の中を流れる塩田川沿いに桜の木が植えられた細長い公園がありました。ここが「嬉野温泉公園」です。
遊歩道の途中には「ゾンビランド サガ」のマンホールもありました。
公園の一角にはカウンター席のようにも見える不思議な構築物が、塩田川を望むように何ヵ所かに設置されていました。
近くに行ってカウンターの下側を見ると、フリーWiFiのステッカーが貼られていて、その横にはコンセントもありました。屋外の公園にこの様な設備があるのは初めて見ましたが、気候のいい時季だったらここでのんびりと仕事ができそうですね(笑)
公園の中央付近には能舞台のようなステージ?もありました。イベント時にはステージとして利用するんでしょうね?
そして公園の出口付近には塩田川に架かる赤い橋があって「温泉橋」と書かれていました。
温泉橋の中ほどから眺めた嬉野温泉街です。画像の左端に見えている尖がり屋根の建物がシーボルトの湯です。
橋を渡った先にも何軒かのお宿がありましたが、ここには「長崎街道嬉野宿」と書かれた木柱が立てられていました。長崎街道は小倉と長崎を結ぶ江戸時代の街道で、佐賀県内には13の宿場があって、嬉野宿はそのうちのひとつで、佐賀藩直営の公衆温泉もあったそうです。
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