中九州横断道路の滝室坂トンネル周辺の工事状況を見たら、国道57号をさらに先へと進みました。
国道57号を進んでいると正面に阿蘇外輪山が見えてきました。阿蘇市は世界最大規模のカルデラの中にあって、全周を外輪山に囲まれているので、どの方向に走っていても正面には外輪山が見えるんですよね。
しばらくすると道路上にこの様な電光表示が見えてきました。この日は令和8年熊本地震の発生した翌日でしたが、阿蘇方面では被害の報道等は全く無かったので、当初の予定通りに出かけたんですよね。
国道57号が立野付近まで来たら、道路は下り坂になってそのまま阿蘇盆地を抜けます。他のルートでは全て外輪山へ登ってから阿蘇盆地を抜けますが、立野付近だけは外輪山の一部が欠けているんですよね。
国道57号が下り坂になるとすぐに石碑などが建っている広い展望所が左側に見えてくるのでここに車を停めました。
ここは「数鹿流崩之碑 展望所(すがるくずれのひてんぼうしょ)」といって、石碑には「数鹿流崩之碑」と刻まれています。ここは平成の熊本地震で山の斜面が大崩れして、裾野を走っていたJR豊肥本線や国道57号を覆い尽くして黒川へ流れ落ち、その時の地震によって阿蘇大橋を支える橋脚の地盤もずれて阿蘇大橋が崩落したんですよね。
ここが山の斜面が崩落したところです。今でも崩落したところだけには樹木が生えてなくて生々しい傷痕が残っています。画像では分りませんがこの斜面の下部の草が繁っている辺りにJR豊肥本線が走っていて、その下に見える道路が熊本と大分を結ぶ大動脈の国道57号です。震災発生直後には豊肥本線も国道57号も復旧が不可能といわれていたんですよね。
ここには石碑以外にも崩落した阿蘇大橋についての説明板もあって、説明板の向こうを眺めると崩落した阿蘇大橋の一部が撤去されずに残っているのが見えました。
崩落した阿蘇大橋を望遠で撮影したらこんな感じで、今はまだ震災の激しさを物語る生々しい姿をしていますが、周囲にはすでに樹木が生い茂り始めているので、年数を経て人々の脳裏から震災の記憶が薄れるようにこの橋の姿も見えなってくるんでしょうか?
説明板には震災前の阿蘇大橋の写真も載っていました。今ではもう見ることのできない懐かしい姿ですね。
ここからは日本の滝百選にも選ばれている落差60mの数鹿流ヶ滝(すがるがたき)の展望所へ続く道路もありますが、入口には車止めがあって車では行けないようになっています。
数鹿流ヶ滝展望所への道路の行き止まりには駐車場がありますが、ここへの道路はかなりの斜面になっているので、車止めが無くても車では行けないようですね。この道路ができて間もない頃にここを歩いたことがありますが、その時にはまだ斜面じゃなくてまっ平らな道だったんですよね。
数鹿流崩之碑展望所を出発したら、国道57号から国道325号へと分岐する新阿蘇大橋を渡りました。
新阿蘇大橋を渡ったところには新阿蘇大橋展望所「ヨ・ミュール」があるのでここに車を停めました。
ヨ・ミュールから眺めた新阿蘇大橋と、その向こうに見える大崩落を起こした数鹿流崩れです。
ここにはこの様な説明板もあって、かつては湖だったカルデラ内の阿蘇盆地が、熊本地震の原因にもなった布田川断層で繰り返し発生した地震によって、外輪山の一部が崩落して湖水が流れ出たと書かれていました。
足元を眺めると阿蘇長陽大橋とその下を流れる黒川、そして黒川が合流する白川が見えました。
阿蘇長陽大橋を渡っている時に何気なく欄干部分などを眺めると、路面と欄干が波打っているように見えました。今は修復工事も終って通常通りに車が通れる阿蘇長陽大橋ですが、こんなところにも熊本地震の痕跡が残っているんですね。
平成の熊本地震発生直後は防災意識も高くて、災害に備えた備蓄などもしていましたが、日が経つにつれて防災意識も薄れてきて、いつの間にか備蓄などもしなくなりましたが、令和8年熊本地震で被災した人々の様子を報道で見たり、熊本地震の震災遺構を改めて眺めると、過去の災害を教訓として、常に災害に対する意識を持つことの重要さを痛感しました。
にほんブログ村ランキングに参加しています。
下記のバナーをどちらかワンクリックお願いします。

にほんブログ村 にほんブログ村
国道57号を進んでいると正面に阿蘇外輪山が見えてきました。阿蘇市は世界最大規模のカルデラの中にあって、全周を外輪山に囲まれているので、どの方向に走っていても正面には外輪山が見えるんですよね。
しばらくすると道路上にこの様な電光表示が見えてきました。この日は令和8年熊本地震の発生した翌日でしたが、阿蘇方面では被害の報道等は全く無かったので、当初の予定通りに出かけたんですよね。
国道57号が立野付近まで来たら、道路は下り坂になってそのまま阿蘇盆地を抜けます。他のルートでは全て外輪山へ登ってから阿蘇盆地を抜けますが、立野付近だけは外輪山の一部が欠けているんですよね。
国道57号が下り坂になるとすぐに石碑などが建っている広い展望所が左側に見えてくるのでここに車を停めました。
ここは「数鹿流崩之碑 展望所(すがるくずれのひてんぼうしょ)」といって、石碑には「数鹿流崩之碑」と刻まれています。ここは平成の熊本地震で山の斜面が大崩れして、裾野を走っていたJR豊肥本線や国道57号を覆い尽くして黒川へ流れ落ち、その時の地震によって阿蘇大橋を支える橋脚の地盤もずれて阿蘇大橋が崩落したんですよね。
ここが山の斜面が崩落したところです。今でも崩落したところだけには樹木が生えてなくて生々しい傷痕が残っています。画像では分りませんがこの斜面の下部の草が繁っている辺りにJR豊肥本線が走っていて、その下に見える道路が熊本と大分を結ぶ大動脈の国道57号です。震災発生直後には豊肥本線も国道57号も復旧が不可能といわれていたんですよね。
ここには石碑以外にも崩落した阿蘇大橋についての説明板もあって、説明板の向こうを眺めると崩落した阿蘇大橋の一部が撤去されずに残っているのが見えました。
崩落した阿蘇大橋を望遠で撮影したらこんな感じで、今はまだ震災の激しさを物語る生々しい姿をしていますが、周囲にはすでに樹木が生い茂り始めているので、年数を経て人々の脳裏から震災の記憶が薄れるようにこの橋の姿も見えなってくるんでしょうか?
説明板には震災前の阿蘇大橋の写真も載っていました。今ではもう見ることのできない懐かしい姿ですね。
ここからは日本の滝百選にも選ばれている落差60mの数鹿流ヶ滝(すがるがたき)の展望所へ続く道路もありますが、入口には車止めがあって車では行けないようになっています。
数鹿流ヶ滝展望所への道路の行き止まりには駐車場がありますが、ここへの道路はかなりの斜面になっているので、車止めが無くても車では行けないようですね。この道路ができて間もない頃にここを歩いたことがありますが、その時にはまだ斜面じゃなくてまっ平らな道だったんですよね。
数鹿流崩之碑展望所を出発したら、国道57号から国道325号へと分岐する新阿蘇大橋を渡りました。
新阿蘇大橋を渡ったところには新阿蘇大橋展望所「ヨ・ミュール」があるのでここに車を停めました。
ヨ・ミュールから眺めた新阿蘇大橋と、その向こうに見える大崩落を起こした数鹿流崩れです。
ここにはこの様な説明板もあって、かつては湖だったカルデラ内の阿蘇盆地が、熊本地震の原因にもなった布田川断層で繰り返し発生した地震によって、外輪山の一部が崩落して湖水が流れ出たと書かれていました。
足元を眺めると阿蘇長陽大橋とその下を流れる黒川、そして黒川が合流する白川が見えました。
阿蘇長陽大橋を渡っている時に何気なく欄干部分などを眺めると、路面と欄干が波打っているように見えました。今は修復工事も終って通常通りに車が通れる阿蘇長陽大橋ですが、こんなところにも熊本地震の痕跡が残っているんですね。
平成の熊本地震発生直後は防災意識も高くて、災害に備えた備蓄などもしていましたが、日が経つにつれて防災意識も薄れてきて、いつの間にか備蓄などもしなくなりましたが、令和8年熊本地震で被災した人々の様子を報道で見たり、熊本地震の震災遺構を改めて眺めると、過去の災害を教訓として、常に災害に対する意識を持つことの重要さを痛感しました。
にほんブログ村ランキングに参加しています。
下記のバナーをどちらかワンクリックお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村
PR