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今日は帆船・日本丸が別府国際観光港に入港したので見に行きました、
これから海の貴婦人って呼ばれてる航海練習船の帆船・日本丸を見に行くよ、以前見学に行ったのは一昨年の5月だからほぼ2年ぶりだよ、過去の記事は ここ をクリックしてみてね、
お家を出発して20分ほどで別府市に到着です、正面に見えてるのは別府タワーだよ、高さは100mしかないけど名古屋テレビ塔、大阪の通天閣に続いて日本で3番目に建てられた高層タワーなんだよ、一度は登ってみたいよね、
別府タワーを通り過ぎるとすぐに別府国際観光港に着きます、
でも車を停めたのは別府国際観港に隣接する 『上人ヶ浜公園』 だよ、ワシントンパームやフェニックスが植えられて南国ムード満点だよね、
上人ヶ浜公園の前は別府国際観光港の第4埠頭?になってるので、お散歩を始めたらすぐに日本丸が見えてきました、
りゅう君は日本丸を早く間近で見たいのか?走って日本丸のほうへと向かっています、
2年ぶりに見る日本丸だね、後姿もかっこいいよねぇ、でも日本丸が停泊してる第3埠頭との間には川があってこれ以上先へは進めません、
第4埠頭から見た日本丸の艦尾部分です、さすがに海の貴婦人って呼ばれてるだけあって芸術的な美しさだよね、
日本丸を間近に見ようと第3埠頭へ向かってたら、ちょうど雲の隙間から太陽が顔を出して、日本丸がきれいなシルエットになって見えました、
第4埠頭と第3埠頭の間にある橋を渡ったら、日本丸が停泊してる岸壁に行けます、でも風がとっても強くてりゅう君もこんな顔になってます、
橋を渡ったところでかわいいワンちゃんに会いました、このワンちゃんは日本丸を見学した帰りなのかな?
日本丸の接岸してる別府国際観光港第3埠頭へやって来ました、目の前には日本丸が見えています、
そしてそのすぐ近くには『さんふらわぁ・こばると』 が停泊していました、さんふらわあ は別府市と大分市から4隻が神戸、大阪方面へ就航してるんだけど、全てのフェリーが1万トンクラスの大型フェリーなんだよ、
ちょうどこの時に別府と愛媛県の八幡浜との航路に就航してる宇和島運輸フェリーの ”えひめ” も入港してきました、
帆船・日本丸とフェリーさんふらわあと宇和島運輸フェリーが同時に見れるなんてとっても珍しい光景だよ、
しかしこうやって見ると、日本丸ってとってもきれいな形の船だね、りゅう君も見惚れてるようです(笑)
このきれいな形と白い船体を見たら日本丸が海の貴婦人って愛称で呼ばれてる以外にも、太平洋の白鳥って愛称でも呼ばれてるのも納得だよね、
舳先には航海の安全を守る船首像(フィギュアヘッド)があります、日本丸の船首像は両手を合わせて祈る女性で藍青(らんじょう)って呼ばれてるんだよ、
外国の帆船でも船首像はほとんどが女性なんだけど、日本丸の船首像の藍青はとっても優しい顔をしてるよね、
船上を見たらマストの周囲にはものすごい数のロープが縦横に張り巡らされていました、でも間違えて操作したりしないのかな?
係留ロープの途中に付いてる丸い円盤状のものはラットガードと言ってネズミなどの小動物が係留ロープを伝わって船内へ入るのを防止するためのものだよ、
ママと一緒にすぐ近くまで行ったんだけど、日本丸が大き過ぎて僕がどこにいるか分かんないよね、
日本丸の見学を終えたら上人ヶ浜公園の駐車場へと戻ります、ちなみに上人って一遍上人の事で、九州に来た時に最初にここへ上陸したんだって、
ママぁ、向こうに何か見えるよって顔をしてりゅう君はこちらを振り返りました、
上人ヶ浜公園の横には 『別府海浜砂場』 があって、この時もたくさんの観光客が砂掛けさんから全身に砂をかけられて頭だけを出していました(笑)
帆船・日本丸を見た帰りの車中で、りゅう君は大あくびです、今日は朝ごはん前にここへ来たから眠たいよ、でも2年ぶりの日本丸は前と変わらずにとってもきれいな姿だったよね、だけど翌日の出航時にはパパはお仕事でクライマックスの登檣礼(とうしょうれい)が見れなかったのは残念だったね。
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別府タワーを通り過ぎるとすぐに別府国際観光港に着きます、
でも車を停めたのは別府国際観港に隣接する 『上人ヶ浜公園』 だよ、ワシントンパームやフェニックスが植えられて南国ムード満点だよね、
上人ヶ浜公園の前は別府国際観光港の第4埠頭?になってるので、お散歩を始めたらすぐに日本丸が見えてきました、
りゅう君は日本丸を早く間近で見たいのか?走って日本丸のほうへと向かっています、
2年ぶりに見る日本丸だね、後姿もかっこいいよねぇ、でも日本丸が停泊してる第3埠頭との間には川があってこれ以上先へは進めません、
第4埠頭から見た日本丸の艦尾部分です、さすがに海の貴婦人って呼ばれてるだけあって芸術的な美しさだよね、
日本丸を間近に見ようと第3埠頭へ向かってたら、ちょうど雲の隙間から太陽が顔を出して、日本丸がきれいなシルエットになって見えました、
第4埠頭と第3埠頭の間にある橋を渡ったら、日本丸が停泊してる岸壁に行けます、でも風がとっても強くてりゅう君もこんな顔になってます、
橋を渡ったところでかわいいワンちゃんに会いました、このワンちゃんは日本丸を見学した帰りなのかな?
日本丸の接岸してる別府国際観光港第3埠頭へやって来ました、目の前には日本丸が見えています、
そしてそのすぐ近くには『さんふらわぁ・こばると』 が停泊していました、さんふらわあ は別府市と大分市から4隻が神戸、大阪方面へ就航してるんだけど、全てのフェリーが1万トンクラスの大型フェリーなんだよ、
ちょうどこの時に別府と愛媛県の八幡浜との航路に就航してる宇和島運輸フェリーの ”えひめ” も入港してきました、
帆船・日本丸とフェリーさんふらわあと宇和島運輸フェリーが同時に見れるなんてとっても珍しい光景だよ、
しかしこうやって見ると、日本丸ってとってもきれいな形の船だね、りゅう君も見惚れてるようです(笑)
このきれいな形と白い船体を見たら日本丸が海の貴婦人って愛称で呼ばれてる以外にも、太平洋の白鳥って愛称でも呼ばれてるのも納得だよね、
舳先には航海の安全を守る船首像(フィギュアヘッド)があります、日本丸の船首像は両手を合わせて祈る女性で藍青(らんじょう)って呼ばれてるんだよ、
外国の帆船でも船首像はほとんどが女性なんだけど、日本丸の船首像の藍青はとっても優しい顔をしてるよね、
船上を見たらマストの周囲にはものすごい数のロープが縦横に張り巡らされていました、でも間違えて操作したりしないのかな?
係留ロープの途中に付いてる丸い円盤状のものはラットガードと言ってネズミなどの小動物が係留ロープを伝わって船内へ入るのを防止するためのものだよ、
ママと一緒にすぐ近くまで行ったんだけど、日本丸が大き過ぎて僕がどこにいるか分かんないよね、
日本丸の見学を終えたら上人ヶ浜公園の駐車場へと戻ります、ちなみに上人って一遍上人の事で、九州に来た時に最初にここへ上陸したんだって、
ママぁ、向こうに何か見えるよって顔をしてりゅう君はこちらを振り返りました、
上人ヶ浜公園の横には 『別府海浜砂場』 があって、この時もたくさんの観光客が砂掛けさんから全身に砂をかけられて頭だけを出していました(笑)
帆船・日本丸を見た帰りの車中で、りゅう君は大あくびです、今日は朝ごはん前にここへ来たから眠たいよ、でも2年ぶりの日本丸は前と変わらずにとってもきれいな姿だったよね、だけど翌日の出航時にはパパはお仕事でクライマックスの登檣礼(とうしょうれい)が見れなかったのは残念だったね。
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Comment
1
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
りゅうくんご家族の皆様へ
しばらくは、大変だと思いますが、体に気をつけてください。
りゅうくんも頑張ってね。
私の親父が亡くなったときは、急だったので、預金から、
権利書関係から、いっさい手つかずで、葬式代もなかったですよ。
銀行周りから、書類作成(これは頼みました)まで、意外と大変でした。
義父さんも、未来に向かって、新しい船出をしたんですね。
しばらくは、大変だと思いますが、体に気をつけてください。
りゅうくんも頑張ってね。
私の親父が亡くなったときは、急だったので、預金から、
権利書関係から、いっさい手つかずで、葬式代もなかったですよ。
銀行周りから、書類作成(これは頼みました)まで、意外と大変でした。
義父さんも、未来に向かって、新しい船出をしたんですね。
RE.1
おはようございます、びびさん
お気遣い頂きまして、ありがとうございます、
りゅうママの父は熊本の人なので、こちらでの葬儀が終わったら熊本で本葬の予定です、お墓も熊本にあるんですが、りゅうママは一人っ子で今後どうしたものか?・・・です、
私の母の時も急だったので銀行等の手続き大変でしたねぇ~
しばらくは慌しいですが、落ち着いたらブログ再開しますね、お出かけネタも溜まってますから(笑)
りゅうママの父は熊本の人なので、こちらでの葬儀が終わったら熊本で本葬の予定です、お墓も熊本にあるんですが、りゅうママは一人っ子で今後どうしたものか?・・・です、
私の母の時も急だったので銀行等の手続き大変でしたねぇ~
しばらくは慌しいですが、落ち着いたらブログ再開しますね、お出かけネタも溜まってますから(笑)
RE.2
こんにちは、信歩さん
ありがとうございます、
義父の場合は余命宣告を受けての入院中だったので、ついにその時が来たなって感じでした、
義父は熊本出身で親族が大分にはいないので、大分と熊本の両方で葬儀をする様なかたちになってしまいました、
一昨日に続き今日も熊本行きです、ここからだと片道3時間以上もかかるし、家にはりゅう君がいるので泊りでは行けないし、しばらくは大分⇔熊本の往復が続きそうです、
義父は戦争など昭和の激動期を生き抜いた人なので、人生の軌跡の一部をブログの中にでも残せればと思って遺品の整理をしています。
義父の場合は余命宣告を受けての入院中だったので、ついにその時が来たなって感じでした、
義父は熊本出身で親族が大分にはいないので、大分と熊本の両方で葬儀をする様なかたちになってしまいました、
一昨日に続き今日も熊本行きです、ここからだと片道3時間以上もかかるし、家にはりゅう君がいるので泊りでは行けないし、しばらくは大分⇔熊本の往復が続きそうです、
義父は戦争など昭和の激動期を生き抜いた人なので、人生の軌跡の一部をブログの中にでも残せればと思って遺品の整理をしています。
3
父も予科練生で大村で終戦を迎えたと言っていました。
写真を拝見して父を思い出しました。
あの時代の男の方は潔く生死感が現代の人とは違う様な気がします。
父は鍋島一夫といい、義父様とは同期でしたのですね。
父は佐賀県の鍋島出身でしたが、35歳で名古屋に出て、10年程前76で亡くなりました。
家族親戚一同、男の中の男だったと、自慢の父でした。
15〜16歳で死ぬ覚悟を決めて生きた人達がいた事に改めて感謝しています。お義父様に対する、お婿さんの優しさや思いやりに心が熱くなりました。
良い写真を見せて頂きありがとうございました。
あの時代の男の方は潔く生死感が現代の人とは違う様な気がします。
父は鍋島一夫といい、義父様とは同期でしたのですね。
父は佐賀県の鍋島出身でしたが、35歳で名古屋に出て、10年程前76で亡くなりました。
家族親戚一同、男の中の男だったと、自慢の父でした。
15〜16歳で死ぬ覚悟を決めて生きた人達がいた事に改めて感謝しています。お義父様に対する、お婿さんの優しさや思いやりに心が熱くなりました。
良い写真を見せて頂きありがとうございました。
RE.3
こんにちは、上田様
はじめまして、
義父とは一緒にお酒を飲む事はよくありましたが当時の事はほとんど聞いた事が無かったんですよね、
遺品の整理をしていてたくさんの資料や写真が出てきて初めて知った事ばかりでした、
予科練生は20歳未満の年齢で死を覚悟して厳しい選抜をくぐり抜けての入隊ですから一般の人とは死生観も違っていたんでしょうね、
生前の義父はお酒が大好きなおじいちゃんって感じでしたが健在なうちにもっと話を聞いておけばってちょっと後悔しています、
ご訪問ありがとうございます。
義父とは一緒にお酒を飲む事はよくありましたが当時の事はほとんど聞いた事が無かったんですよね、
遺品の整理をしていてたくさんの資料や写真が出てきて初めて知った事ばかりでした、
予科練生は20歳未満の年齢で死を覚悟して厳しい選抜をくぐり抜けての入隊ですから一般の人とは死生観も違っていたんでしょうね、
生前の義父はお酒が大好きなおじいちゃんって感じでしたが健在なうちにもっと話を聞いておけばってちょっと後悔しています、
ご訪問ありがとうございます。
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